南方二書(口語訳17)


南方二書(口語訳)

  • 1 那智山濫伐事件
  • 2 証拠品の古文書
  • 3 拾い子谷
  • 4 那智のクラガリ谷
  • 5 植物の全滅
  • 6 闘雞神社の大樟
  • 7 土地固有の珍植物
  • 8 人民への悪影響
  • 9 全国の神社合祀
  • 10 神社は地域の大財産
  • 11 珍しい動植物
  • 12 学問上貴重な神社林
  • 13 西の王子
  • 14 出立王子,三栖中宮,三栖下宮,本宮
  • 15 新宮
  • 16 神道
  • 17 秘密儀
  • 18 火事を消そうとする雉
  • 19 日高郡
  • 20 学術上の材料
  • 21 巧遅より拙速で
  • 22 糸田猿神社,竜神山
  • 23 奇絶峡,小土器
  • 24 古蹟の保存
  • 25 高原,十丈,野中,近露の王子
  • 26 これにて擱筆

  • 秘密儀

    一方杉
    一方杉 / み熊野ねっと

     時変わり世移りて、その神主というものが斎忌どころか、今日この国第一の神官の頭取である奥五十鈴という老爺は、『和歌山新報』によると、「たとえ天鈿女の命(あまのうずめのみこと)のような醜女にでも、3日ほど真に惚れられたいものだ」など県庁で放言して、すぱすぱと煙草を官房で環に吹き、その主張として、どんな植物があろうがなかろうが、結局は金銭のない社は存置の価値はない、と公言し、また合祀大主張紀国造紀俊は、芸妓を妻にし、樟の木などを伐り散らし、その銭で遊郭に籠城し、二上り新内(※にあがりしんない。俗曲のひとつ※)などを作り、新聞へ投書して自慢している。こんな人物がいかに説教したとしても、その感化力はとても小学教員には及ばず、じつは教育の害物である。

    現にこれまで祭日にのみ神官に接した諸村民は、神官なしに毎朝夕、最寄りの神社に詣って国恩を謝し、一家安寧を祈り、楽に基本金なしにそれぞれに金銭を出し合って今日まで立派に維持してきて、神主はそれぞれにより補助されて祭典を挙行し、何不足なく自分もそれぞれ内職に教員なり百姓なりを営んできたことは、上述の欧州また古回教国の例のようである。なので、神官はほんの補助物、アクセサリー accessory であって、国民に愛郷愛国の念、謙譲恭慎の美風を浸潤させるのは、一に神社そのものの存立によることなのだ。

     プラトンは、ちょっとしたギリシアの母を犯したり、妹を強姦したり、ガニメデスの肛門を掘ったり、アプロディーテーに夜這したり、そんな卑猥な伝説のある諸神を、心底から崇めた人ではない。しかしながら、秘密儀 mystery を讃して、秘密儀なるかな、秘密儀なるかな、といった。

    秘密といっても無理に物を隠すということではなく、つまり何の教えにも顕密の二事があって、言語文章論議でもって言い表し伝え化することができないところを、在来の威儀によって不言不筆、たちまちに頭から足の底まで感化を忘れられなくさせるものをいったのだろう。

    小山健三氏がかつて、もっとも精神を爽快にさせるものは、休暇の日に古神社に詣り社殿の前に立つことにある、といったと聞く。このようなことは、今日の合祀後の南無帰命稲成祇園金比羅大明権現というような、混雑錯綜した、大入りで半札をも出さなければならないようにぎっしり詰まり、樹林も清泉もなく、落葉飛花を見たくてもなく、掃除のために土は乾き切り、ペンキで白塗りの鳥居や、セメントで砥石を固めた手水鉢が多い俗神社に望むことはできないのだ。

     小生は家内の事が多く、昨夜から眠らず、すこぶるくたびれ、また明日は英国のリスター女史へ粘菌を送るため、これから顕微鏡の画を描かなければならない。それが済んだら、野中へ神林の老木伐採を見合わすよう勧告しに、往復17,8里(※1里は約4km※)を歩まねばならない。

     野中近露の王子は、熊野九十九王子中もっとも名高いものである。野中に一方杉といって名高い大杉がある。また近露の上宮にはさらに大きな老杉があり、下宮にもある。上宮だけは伐採されたが、他は小生が抗議して残っている。なんとか徳川候からでも忠告してもらおうと、村人に告げてまず当分は伐木せずにある。しかし、近日伐木すると言いに来た。すでに高原の塚松という大木は伐られたから、小生自らが止めに行くのだ。後援のない一個人のことなので、私費が多い割に功力が薄いのには困り入っています。

    いずれも1間から1丈近い直径のものでありまして、聖帝、武将、勇士、名僧が古え熊野詣にその下を通るごとに仰ぎ見られたものでございます。この木などを伐ろうとして、無理に何の木もない禿げ山へ新たに社を立て、それへ神体を移したのだ。これらは名蹟として何とか復社させられたいことでございます。

    この3社の神主は荷持ち人足の成り上がりで、何にも知らないごろつきのようなもので、去年小生がその辺へ行ったとき、妻と喧嘩し、妻が首をくくり死んだところであった。このようなつまらない者の俸給を上げるために、このような名社をことごとく滅し、名木を伐り尽くすのは、いかにもつまらない話と存じおります。

    〔以下、『山岳』6年3号からの捕捉〕大抵、諸地の村々の合祀は、在来の1社を指定して村社となし、他の諸社をこれに合祀したものだが、この近野村の合祀は破天荒の乱暴さで、全く樹林を濫伐するがために、七、八百年来存続してきた村社4、無格社9、合わせて13社を全滅濫伐し、その代わりに木もなく地価も皆無である禿げ山の頂へ、新しく出来た無由緒の金比羅社という曖昧至極の物を立て、それへ諸神体を押し込めて、さてその禿げ山へ新たに神林を植えるという名目の下に、周囲2丈5尺以下、1丈3尺の大老杉10余本を伐ろうとするのだ。

    合祀の際、件のごろつき神主は、神体を手の平でもてあそび、一々その代価を見積もり、公衆の前で笑って評した。合祀滅却された13社中、野中王子近露の王子中川王子比曽原王子、湯川王子の6社は、いずれも藤原定家卿の『後鳥羽院熊野御幸記』に載った古社古蹟である。

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    「南方二書」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収




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