南方二書(現代語訳5)

 ※本ページは広告による収益を得ています。

南方二書(現代語訳)

  • 1 那智山濫伐事件
  • 2 証拠品の古文書
  • 3 拾い子谷
  • 4 那智のクラガリ谷
  • 5 植物の全滅
  • 6 闘雞神社の大樟
  • 7 土地固有の珍植物
  • 8 人民への悪影響
  • 9 全国の神社合祀
  • 10 神社は地域の大財産
  • 11 珍しい動植物
  • 12 学問上貴重な神社林
  • 13 西の王子
  • 14 出立王子,三栖中宮,三栖下宮,本宮
  • 15 新宮
  • 16 神道
  • 17 秘密儀
  • 18 火事を消そうとする雉
  • 19 日高郡
  • 20 学術上の材料
  • 21 巧遅より拙速で
  • 22 糸田猿神社,竜神山
  • 23 奇絶峡,小土器
  • 24 古蹟の保存
  • 25 高原,十丈,野中,近露の王子
  • 26 これにて擱筆

  • 植物の全滅

     小生は、8年ばかり前、この辺でリュウビンタイを多く見出し、2本、人に送ろうとして小さいものを掘って来て、宿所の庭に植えて置いたが、村民らがこれを伺い知り、いろいろ伝唱して、ついには新宮の新聞に出て、南方はクラガリ谷で黄金シダを発見した。

    これは黄金と同重量で売買の価がある(小生の知人が常時、土佐と田辺の間では平瀬長者介(ひらせちょうじゃがい)を見出し、小生に鑑定を求めて来て、小生の指図で京の平瀬与三郎氏に売与したことを聞き違え、作り出したのだろう)といって、新宮はじめ7,8里の距離の所から件のリュウビンタイを求めに来て、那智の某という百姓は、庭園中の梅の木の下の芋畑をことごとく掘り返し、件のリュウビンタイを盛んに作る。

    しかしながら、どうしたことか、リュウビンタイが盛んに生え出し、近所を害し、その畑は無用のものとなる。ところがいっこうに誰も買いに来ず、南方は我が輩をたぶらかしたといって大いに憤っているのを見ておかしく、汝らはみな猿智恵で、人のすることをひそかにまねし、ありもしない風説を信じるから、こんな災難が起こるのじゃと、逆さまに嘲弄してやったことがある。

     また当田辺から2里半ばかりに、奇絶峡(きぜつきょう)といってはなはだ好景の谷が1里ばかり続く所がある。美景は耶馬渓(やばけい)に数等優っている上に、珍植物が多い。この辺に染物屋が1軒あって、紺を染めてすぐに庭から走り下って渓水で洗うのだ。その渓の岩の上にあわもり升麻(しょうま)が多い。

    小生がそこへ行ったとき、村の僧が来てこの草の名を尋ねる。小生は、これはあわもり草といって、むかし、どこの国でも婦人の病いに用いたのだと言ったところ、7日ほど経って行くと、はや1本もない。いかなることかと伺いますと、件の紺屋が自分の庭同様の近さにある件の岩岸にあるあわもり升麻を一切引き抜き、自宅の構内の小便桶を埋めたかたわらの芋を引き抜き、その跡へことごとく植え付けたが、どうして枯れずにいられるだろうか、あわもり草はことごとく枯死している。

    万事この類で、何かを話すとたちまちその物を自宅へ持って行き、植え枯らすことが大流行りで、困ったものである。

     ナチシダの生えた辺は、8,9年前から伐木したため、今ははなはだ少なくなっているであろう。ユノミネシダは湯の峰に7本しかなく、それも新宮の中学生などがむやみに引き取り、10町(※1町は約109m※)も歩まないうちに捨て去るので、むろん今は全滅であろう。ホングウシダは、本宮出身ではなはだ綿密な小学校長に精査させたところ、本宮辺に1本もない(当地近傍にはある)。ナチシダは、小生が当郡水上(みなかみ)と申す所、ユノミネシダは那智の金山(かなやま)という所には少々見出したが、今はあるか否かは知らない。

    ガンゼキランと申すものは、小生は図のみを見ただけ。実物は押し葉すら拝見したことがない。これは古えは熊野に多く、見(けん)にして、生姜の代わりに祭日の料理に用いたほど多かったと申す(見とは、熊野は魚が少ない所なので、今でもカシュウイモを横に切り、蒲鉾の代わりに使い、目を喜ばせて味を助ける。そのように客を喜ばせる show である)。

     紫葉は近頃まで、この田辺辺の山野が名産であったが、今は1本もない。 紫葉を見たものはいない。ホタルカズラ、ヒメナミキ、いずれもこの田辺辺の出立(でたち)松原に多くあり、開化の時期にははなはだ路を行く人の眼を喜ばせていた。それなのに4年ばかり前に、小学校建築という名目の下に、この出立松原をことごとく伐った(村民が松を抱えて哭くのを、もぎはなして伐り尽くしたのだ)ため全滅する。その松は白蟻にかまれ、小学用にならず、今も幾分を腐らせ放捨し置く。

    さて魚類が田辺湾へ来ることが少なくなり、夏日は陰がなく、病客が多くなり大閉口、その学校もこのようなつまらない木で建てたため崩れ落ちる。この出立松原は『万葉集』にも顕われ、元禄のころ浅野左衛門佐という人が数万本を植え添えたのだ。

    ここに載せた紫葉、ホタルカズラなどは、他にも産所があるので、それほどは惜しむべきものではない。しかし素人の考えとちがい、植物の全滅ということは、ちょっとした範囲の変更からして、たちまち一斉に起こり、そのときどんなに慌てても、容易に回復できないのを小生は出立松原で目の当たりに見て、証拠に申すのだ。

    back next


    「南方二書」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収

    Copyright © Mikumano Net. All Rights Reserved.