徳川頼倫


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  • 徳川頼倫(とくがわ よりみち)

    徳川頼倫(1872〜1925)。

    東京都生まれ。1879年に紀州藩第14代藩主茂承(もちつぐ)の養子となり、1906年に家督を継ぎ、貴族院侯爵議員となりました。
    日本図書館協会総裁、史跡名勝天然記念物保存協会会長などを歴任。

    ロンドン遊学の折りには南方熊楠(1867〜1941)の案内で大英博物館を見学し、また、熊楠の仲介で孫文とも出会っています。

    1914年、1921年の両年、徳川頼倫は田辺を訪れて熊楠と出会い、1922年には南方植物研究所設立のために1万円を拠出。熊楠、感激です。



    徳川頼倫

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳15)
    故菊池大麓男は、小生が毎度英国の『ネイチャー』、東京の『東洋学芸雑誌』へ寄書するのを読んで、はなはだ小生を誉められたと下村宏氏に徳川頼倫侯が話されたと聞く。

    南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(口語訳18)
    和歌山市に近い岩橋村に、古来大名が高価の釜壺を埋めたと唄う童謡がある。熊楠がロンドンにあった日、これを考えてかの村に必ず上古の遺物を埋めてあるのだろうと思い、これを徳川頼倫侯に話したことがある。侯は、熊楠の言によったか否かは知らないが、数年前このことを大学連に話し、大野雲外氏が赴き掘ったところ、貴重な上古の遺品をおびただしく発見した、と雑誌で見た。

    南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳33)
    かつて紀州侯世子頼倫氏に伴われて鎌田栄吉と英学士会院クラブに饗応を受けたとき、陪膳のガウランド氏(田中島造幣所長)が言ったことには、「妙なことは、日本の古代の神剣も、今ここに(そのとき、テームズ川の底から出たのを、世子の覧に供したのだ)ある古ブリトン人の太古の剣も、銅と錫の合わせ方は幾千分の一匁というところまで微細に合致していることだ」。






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