南方二書(現代語訳20)

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南方二書(現代語訳)

  • 1 那智山濫伐事件
  • 2 証拠品の古文書
  • 3 拾い子谷
  • 4 那智のクラガリ谷
  • 5 植物の全滅
  • 6 闘雞神社の大樟
  • 7 土地固有の珍植物
  • 8 人民への悪影響
  • 9 全国の神社合祀
  • 10 神社は地域の大財産
  • 11 珍しい動植物
  • 12 学問上貴重な神社林
  • 13 西の王子
  • 14 出立王子,三栖中宮,三栖下宮,本宮
  • 15 新宮
  • 16 神道
  • 17 秘密儀
  • 18 火事を消そうとする雉
  • 19 日高郡
  • 20 学術上の材料
  • 21 巧遅より拙速で
  • 22 糸田猿神社,竜神山
  • 23 奇絶峡,小土器
  • 24 古蹟の保存
  • 25 高原,十丈,野中,近露の王子
  • 26 これにて擱筆

  • 学術上の材料

    渡御前社
    渡御前社 / み熊野ねっと

     むかし水戸の義公は日本の諸古文書を写させ、これを一所に置かず、火災を防ぐために諸処に分置されたと申す。ただ今東京辺で考古考古と言って京伝や種彦が書いたものをひねくり、特色ある人が多い。

    隅田川の梅若塚は徳川中世の石出帯刀の築いた所で、その神像は大工棟梁溝口九兵衛が掘ったところ、鴨立庵は三千風より名高くなり、その大磯の虎の像は元禄中の吉原の遊び人・入性軒自得の作という。そんなものすら、それぞれ古雅優美な点もあって、馬琴、京伝がすでにそのことを追考し、立派に考古学の材料となっている。

    しかしながら西沢一鳳が論じたように(『伝奇作書』また『皇都午睡』)、東国の古物はその源が遅く、京畿近方には古いものがなかなか数においても物においても東国の比でないのに、かれを重んじ、これを逸するのは嘆くべきことだ。ただ今国宝調査ということがあって、千年近いもの、また特に美術品として外国に誇るべきものを調べる。それすら年々見出すことが止まない。ましてや、たとい千年以後であるとも、またそれほどまでの美術品でないとしても、数百年前の本朝の文明文化のほどを見、風俗人心の大趣を察すべきものは、当県などにははなはだ多いのだ。

    件の上山路村で焼け失われたうちに、神像数百年のものが多く、いずれも、足利、織豊ころの風俗を見るに足る人形である。また金幣というものが多かった。これも今日なかなか作ろうにも資本がかかることである。土地の者は見慣れて何とも思わないが、学術上は大いに参考となるべきものであった。

    無学無識何の益もない俗神職の俸給を急に作り上げようとして、このようなものが、かの地この地で失うのは惜しむべきことだ。たとい、これを売り、また焼くにしても、ゆっくりと学者の査定を待って後に行うべきことではありませんか。神職の俸給が上がって政教に何の益もないことは、今日神社合祀すればするほど土地の人が悪くなり、日本第一の多数の官公吏犯罪を当県より出し、また合祀がもっとも励行されて神武帝の社をすら公売して悔いなかった新宮町に、大多数の大逆徒を出したことで知られる。

    『戦国策』に、甘竜といった人の言葉に、聖人は民を変えずに教え、智者は俗を変えずに治める、とあった。また、古法によって治めれば吏習うて民はこれに安んず、といっている。人の嫌うことをして学術上の材料を滅却混雑させて何の成績があろうか。

     当県風土誌編纂総裁内村義城という老人は、身分は官吏でありながら、昨年冬から今春初めまで、長文を『牟婁新報』その他に投じ、自ら海草郡、有田郡で見たことを報告し、このように旧蹟を滅し、神体をかすめ去り、神殿を壊し、神林を根から抜かれては、大火跡を見るのに等しく、何の郷土誌、何の地史を論じることができるだろうか、と公論した。これに対して、弁明はひとつも出すことはできない。

     神職の俸給は樹林を伐ったとしても必ず堅固にできるものではない。すでに有田郡などは多くの神社を潰し、神林を伐って金の行方が知れない所が多く、昨年3月15日の『紀南新聞』(日置郡御坊町発行)に、いっそ神林、神社の合祀の取り調べを比較的確実な警察に一任すべしとの意見を出した。同郡には3000円ばかりの神樹伐採の上り高の行方が知れない所さえあるのだ。

     故に、今度原敬氏が内相に復帰したのを幸いに、何とぞ神社は最初原敬氏が内相であったときの訓令に戻し、すなわち当県のように過度残酷にすでに合祀を行った地は、神林を伐り去らずにある神社跡地であるとも、当分は status quo 現状維持のまま、これまで通り庶民に「神林の竹林鳥獣一切採るべからず、学者等特別の理由があって採取しようとする者は特別に手続きを要すること」とされたいことである。

    もしすでに合祀されたから、された分は伐木すべし滅却すべしというならば、到底、今後、資金が乏しくかつ日数も少ない大学生などが夏休みに来県されたとして学術上何の得るところもないだろう。

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    「南方二書」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収

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