五雑組

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  • 五雑組(五雑俎とも)(ござっそ)

    明代の謝肇淛の随筆集。天地人物事の5部全16巻。
    書名は「5部を雑えた組ひも」の意で 『五雑組』と書くのが正しいが、『五雑俎』と書かれることも多く、熊楠も両者を混用しています。

    現在もっとも入手しやすいのは、平凡社、東洋文庫の『五雑組』全5巻。



    五雑俎

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その12)
    五雑俎』巻九に虎地に拠りて一たび吼ゆれば屋瓦皆震う、予黄山の雪峰にあって常に虎を聞く、黄山やや近し、時に坐客数人まさに満を引く、※(「九+虎」、第4水準2-87-25)こうぜんの声左右にあるごとく酒几上きじょうに傾かざる者なしとあって、虎の声は随分大きいが獅に劣る事遠しだ、


    南方熊楠の随筆:十二支考 兎に関する民俗と伝説(その7)
    五雑俎』九に〈狡兎は鷹来りつに遇えばすなわち仰ぎ臥し足を以てその爪をはくしてこれを裂く、鷹すなわち死す云々、また鷹石に遇えばすなわち撲つあたわず、兎これを見てすなわち巌石の傍に依って旋転す、鷹これを如何いかんともするなし云々〉、

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その6)
    ただ恨むらくはその米俵巻絹世に存せざるなり〉という事は、『質屋庫』に引いた『五雑俎』四に、〈蘇州東海に入って五、六日ほど、小島あり、ひろさ百里余、四面海水皆濁るに、独りこの水清し、風なくして浪高きこと数丈、常に水上紅光あらわれ日のごとし、舟人あえて近づかず、いわくこれ竜王宮なり、而して西北塞外人跡到らざるの処、不時数千人樹を□木を※(「てへん+曳」、第4水準2-13-5)くの声を聞く、明くるに及んで遠く視るに山木一空、いわく海竜王宮を造るなり、余おもえらく竜水を以て居と為す、あにまた宮あらん、たといこれあるもまたまさに鮫宇貝闕なるべし、必ずしも人間じんかんの木殖をらざるなり、愚俗不経一にここに至る〉とあるより翻案したのだろう。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その8)
    五雑俎』十二に、〈巴東寺僧青磁碗を得て、米をその中に投ず、一夕にして満盆皆米なり、投ずるに金銀を以て皆しかり、これを聚宝※(「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72)じゅほうわんという、国朝沈万三富天下に甲たり、人言うその家にかの宝盆ありと〉、これは少し入れると一盃に殖えるので、無尽の米絹とやや趣きがちがう。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その18)
    また『五雑俎』に、竜より霊なるはなし、人得てこれをう。


    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その16)
    五雑俎』九に竜が雷を起し、大蜈蚣の玉を取らんとて撃った話あり、そのたけ一尺以上なるは能く飛ぶ、竜これをおそる故に常に雷に撃たるという、竜宮入りの譚に蜈蚣を竜の勁敵としたるもまことに由ありだ、西洋には蜈蚣蛇を殺すという事下に言うべし。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その3)
    五雑俎』に、〈※[#「虫+冉」、226-16]蛇大にして能く鹿を呑む、その胆一粟を口にふく[#「口+禽」、226-16]めば、拷椋ごうりゃく百数といえどもついに死せず、ただし性大寒にして能く陽道を萎せしめ人をして子なからしむ〉。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その28)
    しかるに近来の疑問というは、支那道教の法王張天師の始祖張道陵どうりょう、漢末ぎゃくを丘社に避けて鬼を使い、病を療ずる法を得、大流行となったが、のち蟒蛇に呑まる。その子衡父の屍をもとめて得ざりければ、はくちょうの足をつないで石崖頂に置き、白日昇天したと言い触らし、愚俗これを信じて子孫を天師とあがめた(『五雑俎』八)。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その37)
    妬みの故に蛇となったは、梁の※(「希+おおざと」、第3水準1-92-69)氏(『五雑俎』八に見ゆれど予その出処も子細も詳らかにせぬから、知った方は葉書で教えられたい)や、『発心集ほっしんしゅう』に見えたわが夫を娘に譲って、そのむつまじきを羨むにつけ、指ことごとく蛇にりたる尼公あまぎみ等あり。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その14)
    五雑俎』五に、宋の張耆ちょうき四十二子あり、
    〈諸姫妾の窓閣皆馬厩に直す、馬○○するごとにはなってこれを観せしめ、随いて御幸するあれば孕を成さざるなし〉(『日本紀』武烈紀八年の条参照)。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その18)
    支那でも初至の天癸から紅鉛を製し、童男女の尿より秋石をり、また新産児の胞衣えなを混元毬など尊称して至宝となし、内寵多き輩高価に求め服して身命をうしのうた例、『五雑俎』等に多く見ゆ。


    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その18)
    五雑俎』十一に、群馬の〈精滴地に入りて生ず、皮松鱗のごとし、その形柔潤肉のごとし、云々、この物一たび陰気を得ば、いよいよ壮盛加わる、これを採り薬に入れ、あるいは粥を作りこれを啖えば、人をして子あらしむるという〉、


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