田原藤太竜宮入りの話(その37)

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    国史に※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)をワニと訓ませ『和名抄』『新撰字鏡』などその誤りを改めなんだは、その頃の学者博物学に暗かった杜撰ずさんで、今も北国や紀州の一部である鮫をワニと呼ぶ通り、国史のワニは決して※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)でなく鮫だという事を明治二十六年頃の『日本』新紙に書いた人があったがなかなかの卓説だ、御名前を忘れたが一献差し上げたいから知った人があらばお知らせを乞う、

    昨年十月の『郷土研究』に記者が人を捕る鮫の類は深海に棲む動物で海岸に起ったこのワニの譚に合わず、鮫すなわちワニという説は動物分布の変遷てふ事を十分考察せぬ者の所為と評しあったが、この記者自身が動物分布の変遷を一向構わぬらしい、

    鮫の住所様々なるは『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』十一版二十四巻に便宜のためこれを浜辺、大海、深海底と住所に随ってついで論じあるでわかる。アフリカ、南米、濠州等には川に鮫住む事多く昔江戸鮫が橋まで鮫が来たとは如何いかがだが、『塩尻』五三に尾張名古屋下堀川へ鰹群来した事を記して、漁夫いう日でり久しき時鮫内海に入り諸魚を追うて浜近く来るとあり。

    田辺浜の内の浦などいう処は近年まで鮫毎度谷鰹てふ魚を谷海とて 鹹水かんすいで満ちた細長き谷間へ追い込み漁利を与えた故今も鮫を神様、夷子えびす様など唱え鮫というを忌む、日高郡南部町などは夏日海浴する小児が鮫に取られた事少なからず、

    されば汽船発動機船などなかりし世には日本の海岸に鮫到り害をす事多かったはずで、『今昔物語』の私市宗平きさいちのむねひら、『東鑑』の朝比奈義秀あさひなよしひでなど浜辺でワニを取った様子皆鮫で※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)にあらず、

    ハワイやタヒチ等の浜辺に鮫を祭る社あって毎度鮫来り餌を受け甚だしきは祠官を負うて二十かいりも游ぎし事エリスの『多島海研究ポリネシアン・レサーチス』四、ワイツおよびウントゲルランド『未開人民史ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル』六等に見ゆ、三重県の磯部大明神にかかる鮫崇拝の遺風ある話は予の「本邦における動物崇拝」に載せた、

    要するに和邇が鮫にして※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)でなきは疑いを容れず、ただし熱地には※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)が海辺に出る事も鮫が川に上る事もありて動物学の心得もなき民種はこれを混用するも無理ならず、したがってオラン・ラウト人ごとく二者を兄弟としたり、ペルシアの『シャー・ナメー賦』に※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)大海に棲むとしたは有内ありうちの事だ。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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