今昔物語

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    正しくは今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)。
    天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の3国の1000余りの説話を全31巻に収録した一大説話集。

    平安時代末期、白河法皇鳥羽法皇による院政期に成立したと考えられます。

    『今昔物語集』という書名は、書き出しが「今ハ昔」から始まっていることに由来。文体は和漢混淆文。



    南方熊楠は、死の2週間前に、『今昔物語』を東京の書店から取り寄せ、「昭和十六年十二月十六日神田神保町一誠堂に於いて求む、娘文枝に与ふ、南方熊楠」と署名して、娘の文枝(ふみえ)に形見として与えました。

    熊楠がいかに娘を愛し、『今昔物語』を愛していたかがわかるエピソードです。



    今昔物語

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その6)
    今昔物語集』巻五第二十一語に天竺てんじくの山に狐と虎住み、その狐虎の威を仮りて諸獣をおどす、虎行きて狐を責め狐恐れて逃ぐるほどに井に落ちたとありて、弁財天と※(「穴かんむり/牛」、第4水準2-83-13)地神けんろうじしんの縁起譚だがその出処が解らぬ。芳賀博士の攷証本にもしかと出ておらぬ、多分インドで出来たのでなく江乙の語に拠って支那で作られたものかと思う。

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その26)
    今昔物語』に仏経の野干を狐とした例芳賀博士の攷証本に明示されいる、その四四九頁に『経律異相』から引いて〈過去世、雪山下 に近く師子王あり、五百師子の主とりたり、後時老いて病痩眼闇、諸師子前にありて、空井中につ。五百師子皆捨離し去る、爾時そのとき一野干あり、師子王を見てこの念をして言う、我この林に住み安楽し肉に飽満するを得る所以は師子王に由る、今急処に堕ちたり、いかに報ずべき、時にこの井辺に渠水流あり、野干すなわち口脚を以て水を通ず、水入って井に満ち師子浮み出づ、仏いわく師子王は我身これなり、五百師子は諸比丘是なり、野干は阿難あなん是なりと〉。

    南方熊楠の随筆:十二支考 兎に関する民俗と伝説(その6)
    それから『今昔物語』に大和国やまとのくにに殺生を楽しんだ者ありて生きながら兎の皮をいで野に放つとほどなく毒瘡その身を腐爛して死んだと載せて居る。故ロメーンスは人間殊に小児や未開人またさるや猫に残忍な事をして悦楽する性ある由述べた。すなわち猫が鼠を捉えて直ちにわず、手鞠てまりにして抛げたりまた虚眠して鼠その暇を伺い逃げ出すを片手で面白そうに掴んだりするがごとし。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その8)
    『今昔物語』六に、天竺てんじくの戒日王、玄奘三蔵に帰依して、種々の財を与うる中に一の鍋あり、入りたる物取るといえども尽きず、またその入る物食う人病なしと見えるが、芳賀博士の参攷本に類話も出処も見えず、予も『西域記』その他にかかる伝あるを知らぬ、当時支那から入った俗説じゃろう。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その24)
    『熊野権現宝殿造功日記』新宮に竜落ちて焼けたとあるは前述天火なるべく、『今昔物語』二十四雷電中竜の金色の手を見て気絶した譚は、その人臆病抜群で、鋭い電光を見誤ったに相違ない。『論衡ろんこう』に雷が樹を打ち折るを漢代の俗天が竜を取るといったと見え、『法顕伝』に毒竜雪を起す、慈覚大師『入唐求法記』に、竜闘ってひょうを降らす、『歴代皇紀』に、伝教でんぎょう入唐出立の際暴風大雨し諸人悲しんだから、自分所持の舎利を竜衆に施すとたちまちんだと出づ。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その41)
    芳賀博士の『考証今昔物語集』にこの話を挙げた末に巻三の十一条および浦島子伝を参閲せよとあるが、浦島子の事は誰も御承知で、『今昔物語』三の十一語は迦毘羅衛かびらえ釈種しゃくしゅ滅絶の時、残った一人が流浪して竜池辺で困睡する所へ竜女来り見てこれを愛し夫とし、竜女の父竜王のはかりごとで妙好白氈はくせんに剣を包んで烏仗那うじゃな国王に献じ、因って剣を操りて王を刺し代って王となり竜女を後と立てたはなしふたつながら本話に縁が甚だ遠い。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その24)
    日本の『霊異記』や『今昔物語』に、蛇女に婬して姙ませし話や、地方に伝うる河童が人の妻娘に通じて子を産ませた談がく似て居る。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その39)
    今昔物語』など読むと、本邦でも低価な魚として蛇を食わせ、知らぬが仏の顧客を欺く事も稀にあったらしいが、永良部鰻えらぶうなぎてふ海蛇のほかに満足に食用すべきものなきがごとし。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その19)
    『その他名僧名人に生前死後身より妙香を出した伝多きは、その人香道のたしなみ深く、その用意をし置いたらしい。木村重成ら決死の出陣に香で身をくんじた人多く、甚だしきは平定文たいらのさだぶみ容姿言語一時に冠絶し「人の妻娘いかいわんや宮仕へ人は、この人に物いはれざるはなくぞありける」(『今昔物語』)。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その16)
    『根本説一切有部毘奈耶』に、天馬婆羅訶ばらか海より出て岸辺の香稲を食う。この馬五百商人を尾とたてがみに取り着かせ海を渡りてその難を脱れしめたとある。話の和訳は『今昔物語』や『宇治拾遺』にづ。『大乗荘厳宝王経』にこの聖馬王は観音の化身とある。


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