田原藤太竜宮入りの話(その24)

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田原藤太竜宮入りの話インデックス

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  • 竜とは何ぞ
  • 竜の起原と発達
  • 竜の起原と発達(続き)
  • 本話の出処系統

  • (竜の起原と発達1)

         竜の起原と発達

     一八七六年版ゴルトチッヘルの『希伯拉鬼神誌デル・ミスト・バイ・デン・ヘブレアーン』に、『聖書』にいわゆる竜は雲雨暴風を蛇とし、畏敬いけいせしより起ると解いた。アラビア人マスージー等の書に見る海蛇(『聖書』のタンニンと同根)は、その記載旋風が海水をき上ぐる顕象たる事明白で、それをわが国でも竜巻といい、八雲立やくもたつの立つ同様下から立ち上るから竜をタツとみ、すなわち旋風や竜巻を竜といったと誰かから聞いた。支那やインドで竜王を拝して雨を乞うたはおもにこれに因ったので、それよりいて諸般の天象を竜の所為しわざとしたのは、例せば『武江年表』に、元文二年四月二十五日外山とやまの辺より竜出て、馬場下より早稲田町通りを巻き、人家等損ずとあるは、明らかに旋風で、『新著聞集』十八篇高知で大竜家を破ったとか、『甲子夜話』三十四江戸大風中竜を見たなど、いずれも竜巻を虚張こちょうしたのだ。

    『夜話』十一に、深夜烈風中竜の炯眼ひかるめを見たとは、かかる時電気で発する閃光だろう。『熊野権現宝殿造功日記』新宮に竜落ちて焼けたとあるは前述天火なるべく、『今昔物語』二十四雷電中竜の金色の手を見て気絶した譚は、その人臆病抜群で、鋭い電光を見誤ったに相違ない。『論衡ろんこう』に雷が樹を打ち折るを漢代の俗天が竜を取るといったと見え、『法顕伝』に毒竜雪を起す、慈覚大師『入唐求法記』に、竜闘ってひょうを降らす、『歴代皇紀』に、伝教でんぎょう入唐出立の際暴風大雨し諸人悲しんだから、自分所持の舎利を竜衆に施すとたちまちんだと出づ。

    ベシシ人は竜を有角大蛇とし、地竜海竜と戦い敗死し天に昇りて火と現ずるが虹なりと信ず(スキートおよびブラグデン『巫来半島異教民族篇ペーガン・レーセス・オヴ・ゼ・マレー・ペニンシュラ』二)。東京トンキン人は月蝕を竜の所為しわざとす(一八一九年リヨン版『布教書簡集レットル・エジフィアント』九巻一三〇頁)。かく種々の天象を竜とし竜とづけた後考うると、誠に竜はこれらの天象を蛇とし畏敬せしより起ったようだが、何故なぜ雲雨暴風等を特に蛇に比したかと問われて、蛇は蚯蚓みみず、鰻等より多く、雲雨等に似居る故と言うたばかりでは正答とならぬ。

    すなわちどの民も、いと古く蛇を霊怪至極のものとし、したがって雲雨暴風竜巻や、ある星宿までも、蛇や竜とするに及んだと言わねばならぬ。『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』十一版二十四巻に、スタンレイ・アーサー・クック氏が蛇崇拝を論じて、この問題は樹木崇拝の起原発達を論ずると等しく、一項ごとに人間思想史の諸問題を併せ解くを要し、事極めて複雑難渋だと述べ居る。

    それに竜となると角があったり火を吐いたり、異類異様に振る舞うから、その解決は蛇より数層むつかしく、孔子のいわゆる竜に至っては知るなきなりだ。加之そのうえ拙者本来八岐大蛇の転生うまれがわりで、とかく四、五升呑まぬと好い考えが付かぬが、妻がかれこれ言うから珍しく禁酒中で、どうせ満足な竜の起原論は成るまいが、材料はおおくある故、出来るだけ遣って見よう。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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