柳田国男(やなぎた くにお)
柳田国男(1875年〜1962年)。日本の民俗学の創始者。
南方熊楠(1867~1941)との文通は1911年3月に始まった。柳田国男と柳田国男の往復書簡は、
『柳田国男・南方熊楠 往復書簡集〈上〉』 (平凡社ライブラリー)
『柳田国男・南方熊楠 往復書簡集〈下〉』 (平凡社ライブラリー)
に収められています。
南方熊楠の柳田国男宛書簡の一部は『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫)に所収。
柳田国男(1875年〜1962年)。日本の民俗学の創始者。
南方熊楠(1867~1941)との文通は1911年3月に始まった。柳田国男と柳田国男の往復書簡は、
『柳田国男・南方熊楠 往復書簡集〈上〉』 (平凡社ライブラリー)
『柳田国男・南方熊楠 往復書簡集〈下〉』 (平凡社ライブラリー)
に収められています。
南方熊楠の柳田国男宛書簡の一部は『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫)に所収。
南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(口語訳1)
明治44年12月10日午前2時認
柳田国男様
小生が白井氏へ一書を差し上げ謝ろうと思っても、読んでくれないかもれないので、貴下に寄せて本状の意を伝達してもらいたいのです。
南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その40)
一昨年出た柳田氏の『山の人生』二〇章に、予の
南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その40)
それから前年柳田氏に借りて写し置いた『
事実か否は判らないが、柳田氏の書に引いた他の
南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その20)
これは、『
賓国
南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その22)
また柳田氏は
南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その14)
柳田君の『山島民譚集』に、河童の類語を夥しく
南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その41)
邪視英語でイヴル・アイ、伊語でマロキオ、梵語でクドルシュチス。明治四十二年五月の『東京人類学会雑誌』へ、予その事を長く書き邪視と訳した。その後一切経を調べると、『四分律蔵』に邪眼、『玉耶経』に
南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その15)
いずれもその頃まで母系統を重んじた古風が残りいた証だ。柳田氏かつて越前のある神官の家の系図に、十数代の間婦女より婦女に相続の朱線引き夫の名は各女の右に傍注しあったという(『郷土研究』一の十)。八丈島民が母系を重んじたは誰も知るところだ。『左伝』に〈男女同姓、その生蕃せず〉とあるを学理に合ったよう心得た人多きも釈迦キリストなどを生じた名門に同姓婚の祖先あった者少なからず。
南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その16)
支那では〈易州の馬
泉、相伝う、唐の太宗高麗を征し、ここに
泉あり、広昌県の南七十里にあり、俗に伝う宋の陽延昭、ここに
きて泉を得たり〉(『大清一統志』二二)。その他和漢馬が