千里眼(現代語訳4)

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千里眼(現代語訳)

  • 1 変態心理学
  • 2 亡父の示現
  • 3 幽霊と夢
  • 4 死の学問
  • 5 姪の詠んだ和歌
  • 6 黒田孝高
  • 7 昔の人の所行

  • 死の学問

     

    川湯温泉
    川湯温泉 / み熊野ねっと

     予はかつて岡村金太郎博士が武州で涌泉がある川底からコムプソポゴンという奇藻を採ったということを雑誌で読んだが、その後、夢に、熊野の川湯といって温泉が多く涌き出る川に行ったら、必ずかの藻を採れると見て、7年前に行って探したが、大水の後であったので見つからなかった。

    しかしながら同じ夢を見ることが依然止まなかったため、3年前にまた行って、寒中に川下の寒水を潜って探したが見えない。よって衣服を着て帰ろうとすると、浅い所にかの藻が多く生えているのを採った。これも予が雑誌で読んでいたことを忘れていたら、ずいぶん不思議なことと思うであろう。

     支那の『夢渓筆談』に、きわめて霊験のある女巫のことが書かれている。人が白黒の碁石を数え、握って問うと百発百中である。しかしながら碁石を数えず、むやみに握って問うと答えることができない。都子の言葉に、思慮が起こらなければ鬼神も知ることはないというのはこのことである、とある。予が夢または幽霊に教えられて発見したものは、いずれも自分が多少見聞きしたものに限る。

    すべて何の学問も論理の上に立つもので、論理の大要は近くに解説があるのを差し置いて遠い解説を求めるのを不正とすることなので、不思議の学も、まずは常人に例の多い以心伝心くらいのことから修め究めるべきである。むやみに神力、霊魂などを引き合わせにすべきではない。

     このごろ流行の千里眼のようなのも、難しい試験はさておき、予が神通大乗り気であったとき、やって見て百発百不中であった例を取り、印を付けた耳掻きまたは楊枝などを、手近に積んでいる100冊ばかりの書籍の紙間に挟み置き、その書籍を言い当てさせてはどうだろうか。

    世に数学ほど確かなものはないが、それすら自分が置いて見ない算盤は信じがたいものである。ましてや千里眼、神通、幽霊など、自分の実験を真面目に述べようとすることでさえ、ややもすれば言葉不足のため、虚謬を伝えやすく、信じがたいものである。このことばかりは、いかなる大家の保証があってもにわかには信じるべきではない。

     欧米の不思議会報告に、植物学者が霊感により珍しい草木を獲た例を挙げているのを見ると、予がみずから経験したほどの不思議もない。寛政のころ、石を集めることをもって名高かった、江州の木内重暁は石類に熱心であったあまりに、奇異の石が手に入る前にその夢を見たということを、その著書『雲根志』に書いている。故伊藤圭介先生はこれを全くでたらめのように言われたが、実は予が経験したのと等しく、多くの夢の中で1つ2つ当たったのを、非常に珍しく感じたのであろう。

    プロムネシアといって、今初めて見聞きすることを、世には似たことが多いので、かつてすでに自分が知っていたように思う、一種の錯誤などが多いので、事が起こらないうちに夢なり霊感なり確実に筆記しておかないで、事の起こった後の吹聴のみでは、研究すべき価値はないだろう。

     さて、この長話の末に予が一言するのは、霊魂とか不思議とかいう形而上がかった研究に、透視とか千里眼とか詐欺錯誤の多いことによらずとも、ずいぶん機会の多い人間の死という現象を、生理・心理両学上より観察してはどうだろうか。好んでなすべきことではないだろうが、医師、僧侶をはじめ、常人にも死に立ち会う機会ははなはだ多い。

    インドなど、上古より飢饉、病疾、虐殺、兵乱がしばしば至り、人の命のいたって安直な国であったがゆえ、平気で人の死ぬのを観察したことも多いはずで、仏経に種々、死前死後、中有などのことを説いているのも、ことごとく嘘とも思われない。それに比して、この学問の分科が多い今日、男色、手淫まで専門の学者があるのに、物界心界の関頭である死の学問があるのを聞かないのは、いかなる手落ちであろうか。死に瀕したこと、たとえば気絶中の心相のようなのも大いに攻究すべきである。

     ただし前年、井上円了先生が妖怪学を立てたと聞き、大英博物館で予は先生の講義の序文を述べ、なんと欧州にはまだ化け物の学問はなかろうがと威張ったが、ある人が「それそれ、お前の肘の辺りの常備参考架を見よ」と言うから、見てみると、ずっと以前に出版した『妖怪学書籍総覧』といって、化け物学の一切の書籍の索引だったから、日本人が気が付くことのほどは、大抵西洋ではすでに古臭くなっていると気付き、赤面して退いたことがある。思うに西洋では、千里眼などは今日古臭くて、学者はもっぱら死の現象を研究する最中かもしれない。

     福本日南氏の「出て来た歟」(昨年7月17日の『大阪毎日』紙)に、予が大英博物館でロシア人の鼻をかじったとあるが、予は14歳のときから前歯4本なく、そのお隣もみな入れ歯で、元三大師が顔を焦がして勉学した例に倣い、婦女に惚れられないように、前歯4本は入れずにおいた。もっとも米国へ渡る際にちょっと入れたが、ボクシングを稽古して叩き折られ、面倒だといって、売って酒にして飲んでしまった。

    そのころ、望小太が坂本一(現在海軍中将)と口論した後で、お前は生意気千万だといって小太の鼻をかじったのが、『朝日新聞』の伊東すけのぶで、無礼を咎めてロシア人の鼻を打ったのは予である。いささかの間違いではあるが、歯のない者が噛める気遣いはないと言ったら、日南は「だから、ほんの歯なしだよ」と言うかもしれない。

     また7月18日の同篇に、キュー植物園には、予がその前に園長シスルトン・ダイヤー男爵邸で、フランスの大園芸家ヴィル・モラン氏から聞き取った、わが国の植物が海外で雄威を振るう話を受け売りし、特にアオキの例を日南に談じたことを記して、日南が当時(ドイツの膠州占領の直後)邦人の意気が乏しいのをアオキに思い比べて、

      青木見て青木が原に禊(みそぎ)せし神の御裔(みすゑ)を思へば乏しも

    と詠じたとあるが、予の日記には、日南の即詠を、

    御禊(みそぎ)せし青木が原は広がりて神の御裔はいかがなりけむ

    とし、予がこれに和するとして、イザナミノミコトが夫の神に絶たれたのを憤り、我は汝が治める国民を日に1000人くびり殺そうとおっしゃったのに、イザナギノミコトが、ならば我は日に1500人を産もうとお応えになったのを思い合わせて、

    黎民(あおひとくさ)も青木と倶(とも)に茂らなむ神の誓(うけ)ひの頼もしき世や

    と詠んだ、とある。

    しかし当日、予は道中で、十歩に蝶飲、百歩に鯨飲、日南の宿所へ帰ったころは玉山傾倒で、箱馬車で自宅へ転送してもらったほどなので、件の日記は後から書いたもので、自分の歌はむろん即作ではない。それと同時に日南が『大毎』に出したのも、多少の改正を経たものと見える。

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    「千里眼」は『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫) に所収。

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