高橋勤一

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  • 高橋勤一(たかはし きんいち)

    高橋勤一(生没年不詳)。
    ロンドン時代の南方熊楠(1867年~1941年)の相棒。
    酒を飲んで騒いだりするので世話になっていたところから追い出されて熊楠のところに転がり込みました。
    広島県出身の喧嘩好きの丸坊主頭。ロンドンきっての無法者でしたが、熊楠とは馬が合い、2人で組んで行なった浮世絵の販売は大成功でした(熊楠の英文による解説文をつけて浮世絵を販売した)。



    高橋勤一

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳7)
    それなのに不幸にも南阿戦争(※1899年〜1902年、トランスヴァール共和国及びオレンジ自由国と英国との間に行なわれた戦争※)が起こり、英人はえらいもので、このようなことが起こると船賃が安くても日本船に乗らず高い英国船に乗るという風で、当時小生はディキンズから金を出してもらい、フランスの美術商ビング氏(先年本願寺の売り払い品を見に渡来した人)より浮世絵を貸してもらい、高橋入道謹一(もと大井憲太郎氏の子分、この高橋エドウィン・アーノルド方へ食客に世話したときの珍談はかつて『太陽』へ書いたことがある。アーノルドも持て余していた)という何ともわからぬ喧嘩好きの男を使い売り歩き、買ってくれさえすればおもしろくその画の趣向や画題の解説をつけて渡すことをしたが、これも銭が懐のなかに留まらず、高橋が女に、小生はビールに飲んでしまい、南阿戦争は永く続き、ケンブリッジに日本学講座の話も立ち消えになったから、決然、蚊帳のごとき洋服一枚まとって帰国いたした。外国にまる15年いたのだ。

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳30)
    ロンドンで銭乏しく、高橋という食客と2人、豪州の兎肉の缶詰は量が多くて値が安いからといって、そればかりを買って来て食らう。高橋「こよひはや兎一(ひと)カン食ひ尽くし」。金粟王「ブリキの底にのこる月影」。


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