ネロ

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  • ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus)

    ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(37年〜68年)は、ローマ帝国の第5代皇帝。
    キリスト教徒を迫害し、後に暴君と評された。



    ネロ

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳4)
    またローマのネロ帝のごときは艶后ポッペイヤ(※ポッパエア※)に死なれて自身死のうとするまで憂えたが、スポールスという少年の顔がポッペイヤと間違えるほどであったことから、これを去勢し、婦女の間で仕込んで女同然にし、大礼を挙げてこれを皇后に立て、民衆の歓声のなか公然とこれと接吻したことがある。ネロが弑せられて次に立った帝はまたこの者を寵愛したが、その次に立った帝はこのようなことが大嫌いで、スポールスが節操なく、前帝と同時に死ななかったのを憎み、大きな恥辱を与えるためにこれを娼妓かなんかに出して立たさせ、大衆の面前で戯場に上がらせ大恥辱な目に会わせ(強姦かなにかさせたことと察する)、スポールスはたまらず舌を噛んで自殺をしたということがある。

    南方熊楠の随筆:馬に関する民俗と伝説(その28)
     それから古ローマのネロ帝は荒淫傑出だったが、かつてそろいも揃って半男女ふたなりの馬ばかりり集めてその車を牽かしめ、異観に誇った(プリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』十一巻百九章)。以前ローマ人は、半男女を不祥とし、生まれ次第海に投げ込んだが、後西暦一世紀には、半男女を、尤物ゆうぶつの頂上として求め愛した。

    男女両相の最美な所を合成して作り上げた半男女神ヘルマフロジツスの像にその頃の名作多く(一七七二年版ド・ポウの『亜米利人の研究ルシェルシュ・フィロソフィク・シュル・レサメリカン』一〇二頁)、ローマ帝国を、始終して性欲上の望みを満たさんため、最高価であがなわれたは、美女でも※(「女+交」、第4水準2-5-49)わかしゅでもなくて、実に艶容無双の半男女だったと記憶する。

    ネロ帝はその生母を愛して後これをしいし、臣下の妻を奪って后としたが、その后死んで追懐やまず、美少年スポルス亡后に似たればとて、これを宮し女装せしめて后と立て、民衆の眼前に、これと抱擁親嘴しんししてうらやませ楽しんだというほどの変り物で、その后が取りも直さず半男女同然故、それ相応に半男女の馬に車を牽かせたものか。

    天野信景あまのさだかげの『塩尻』巻五三に、人男女の二根を具するあり、獣もかかる物ありやという人はべる、予が采地愛知郡本地村民の家に、二根ある馬ありて、時々物を駄して来る、見るにいとうるさく覚え侍るといえるは、その見ネロに勝る事遠しだ。

    南方熊楠の随筆:馬に関する民俗と伝説(その50)
    古ローマ人は驢乳を化粧に用いて膚を白くすと確信し、ポッペアネロ帝の后にして権謀に富み、淫虐甚だしきも当時無双の美人たり。何かのはずみに帝赫怒かくどして蹴り所が悪くて暴崩した。帝これを神と崇めまつらせ、古今未曾有の大香薪を積んで火葬せしめ、なお慕うてやまず、美少年スポルス死后に酷似せるを見出し、これを宮し婦装女行せしめ、公式もて后と冊立さくりつせし事既に述べた)は、奢侈しゃしの余り多くの騾に金くつ穿かせ、また化粧に腐心して新たに駒産める牝驢ひんろ五百をい、毎日その乳に浴し、少し日たったものを新乳のものと取り替うる事絶えず。ローマの婦女ことごとくその真似もならず、香具師の工夫で驢乳を脂で固めて鬢附油びんつけあぶらごとき板とし売った。

    南方熊楠の随筆:馬に関する民俗と伝説(その51)
    ユヴェナリスの詩に、カリグラ帝の狂死、ネロ帝の諸悪、いずれもヒッポマネスを用いしに起り、これらの大騒動帰するところは一牝馬の身より出たと見ゆ。


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