オガタマの木について(現代語訳1)

オガタマの木について(現代語訳)

  • 1 オガタマの木
  • 2 瞻匐迦華(チャムパカ)

  • オガタマの木

     

    オガタマノキ
    オガタマノキの花

     本月23日の本紙(『牟婁新報』)に、七川平井にオガタマの木があり、古え安倍晴明がこの村のとどまったとき、手植えした物ということ見える。このオガタマの木は、本邦南部諸国に産し、紀州では竜神辺に自生がある、というのが故伊藤圭介先生の説である。

    予が知るところでは、当郡瀬戸の藤九郎神社に1〜2丈の大木が数本あり、また25年前、日高郡和田浦の神社に1本あるのを見た。まだ他にもあるだろう。葉は平滑、光沢があり、長楕円状、倒卵形、また倒披針形、長さ5〜6分、実叢長さ1〜2寸、ちょっと見たところ松かさのようで、赤い実が多くその中から露出し、美しい。

     茅原定の『芽窓漫録』(文政十二年作)にいわく、「『古今集』物名に出ているヲガ玉の木は、古今伝授にて往古より秘説としていた。伝授で御賀玉木(おがたまのき)と唱えて来た。それには訳があることである。ヲガタマの木は、榊であるということから、御賀玉と書き伝えていた。これは度会(わたらい)社家が拠り所とする『神名帳秘書』に、興玉(おきたまの)社は宝殿がなく、賢木(さかき)を以て神殿とするのだ、とあり、対馬の藤斎延の説に、『諸神本懐』という書を引いて、八神殿は御体を安置せず、ただ賢木を用うるのだということから、御賀玉、興玉と同じ仮名に用いて来た。興玉社は、伊勢にて猿田彦大神を祭るというが、社壇のみにて社はない。二見浦立石の辺に興玉石というのもある。

    しかしながら、ヲガタマ、オガタマの仮名は相異なっている。御は大・御など略して於と書く時はオの仮名にて、ヲガタマと書く時は御の仮名ではない。ゆえに御賀玉は興玉からこじつけて榊であるというが、妄説である。一説に、ヲガタマは招魂(おぎたま)の意味で、伊勢神宮の禰宜の宝物をヲガマ(キタの反か)という。これらは似寄った説で、招(をき)は『古事記」に遠岐(をき)、『日本紀』に招禱(をき)と訓じて、ヲガミである。よって考えるに、ヲガタマの木は拝魂(をがたま)の木である。『日本書紀』竟宴の歌に、『玉柏ヲガ玉の木の鏡葉に、神のひもろき供へつるかな』云々」としち難しく論じてある。

     いわゆる『古今集』物名の歌とは、勝臣の歌に。「翔りてもなにヲガタマノキても見ん、殻は炎となりにしものを」とあるのがこれである。茅原氏は、日向国小戸(おど)の神窟(いわや)辺に、この木が生えるのを見た、と言っている。

     全体この木は、木蘭科のミケリヤ属の物で、外に褐黄花を開くカラタネオガタマ、黄花あるキンコウボクの2種も、南アジアより本邦に移植したが、紀州辺ではいまだ見えない。日本でオガタマの木を神木とするごとく、インドではキンコウボクを神木とし、その花の香は人を酔わし、淫欲を興奮させるので、その花が満開の節には、男女がその樹下に会し舞い踊り、ついに相選んで結ばれるのだ。花の香は人を酔わし、樹形は優美で、花の色は金のようだと言って、インド詩にこれを称することおびただしく、はなはだしきはその香のために酔って、最愛の情女を忘れることをさえ述べている。学名はミケリヤ・チャムパカ、すなわち仏経にいわゆる瞻匐迦華(チャムパカ)がこれなり。

     『金燿童子経』に、むかし波羅奈国の聞軍王(もんぐんおう)は猟を好み甚だしく殺生を行った。太子がこれを嫌い、山に入って縁覚となる。縁覚とは、仏や菩薩に似たものだが、自分さえよければよいと心得て、常に独居し、たまたま托鉢に出て物を貰っても、礼も言わねば説法もしない。ただただ空中に飛び上がり、いろいろの神変を現じ、施主がこれを見て祈願したことは、後世必ず叶うということだ。喩えに、菩薩は馬が人を乗せて人もわれも川を渡すがごとく、また縁覚は、鹿が人に構わず独り川を渡るごとし、とある。南方先生などは、神通自在だから、機嫌の悪い日は縁覚で、郡が何と言って来ても取り合わず、いろいろの理屈ばかり考えて独り楽しむが、機嫌のよい日はたちまち菩薩で、一切の子分を連れ出し、歌舞華鬘の天女を集め、酒を振る舞うのだ。

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    「オガタマの木について」は『南方熊楠全集 第6巻 新聞随筆・未発表手稿』 に所収。

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