人魚の話(現代語訳3)

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人魚の話(現代語訳)

  • 1 人魚
  • 2 落斯馬論争
  • 3 ジュゴン
  • 4 人魚の乾物,八百比丘尼

  • ジュゴン

     

    ジュゴン
    IMG_0617_IrfanView Auto_16zu9 / Andreas März

     なんと長い自慢、兼ヨマイ言じゃ。さて琉球ではまた、ジュゴンをザンノイオとも言い、昔は紀州のアシカ同様、お留め魚(おとめいお)で、王の他はこれを捕え食うことはできないとのこと。魚というものの、形が似ただけで、じつは乳で子を育て、陰門、陰茎が歴然としているので、獣類に相違ない。以前は鯨類と一視されたが、解剖学が進むに従い、鯨類とは何の縁もなく、ただ今のところ何の獣類に近縁があるのか一向に知れぬから、とくにシレン類として一群を設立されている。シレンは知れんという訳ではなく、シレンスという怪獣は、ジュゴンの類に基づいてできたんだろうといって採用した名じゃ。

     ギリシアの古話に、シレンスは海神ポルシスの女で、2人とも3人ともいう。海島の花畠に住み、死人の朽骨の間におり、ことのほか美声で、一度は二度は嘘などと唄うのを、助平な舟人らが聴いて、どんな別嬪だろうと、そこへ牽かれていくと最後、2度と妻子を見ることができなくなる。オデュッセウスはその島辺を航行したとき、連れ一同の耳を鑞で塞ぎ、自身だけは耳を塞がずに帆柱にきつく括り付けさせ、美声を聞きながら化かされなかったのは、なんとえらい勇士じゃ。

     予もそれから思い付いて、福路町を通る前に必ず泥を足底に塗って行く。これは栄枝得意の「むかし馴染みのはりわいサノサ」という格で、いくら呼んだって、女史は大の奇麗好きだから、足が少しでも汚れていては揚げてくれる気遣いなく、「飛んで行きたやはりわいサノサ」と挨拶して、虎口を逃れ帰宅すると、北の方松枝御前が、道理で昼寝の夢見が危なかったと、胸を撫で下ろす筋書きじゃ。

    それはさておき、南牟婁郡の海女の話に、海底に「竜宮の御花畑」といって、なんとも言えぬ美しい海藻が五色燐爛と密生する所へ行くと、乙姫様が現われ、ぐずぐずすると生命を取られると言い伝える。シレンスが花畑にいるというのは、美しい海藻より出た物語であろう。

    さて、シレンスは1人たりとも美声に騙されずに行き過ぎると、運の尽きで、すなわちオデュッセウスが上述の奇策で難なく海を航行したから、今はこれまでと自ら海に投じて底に岩と化したとあるから、南方が行き過ぎると栄枝女史も2階から落ちて女久米仙と言われるかもしれない。

     このシレン類は、あまり種類が多くない。ジュゴン属、マナティー属の2属しか現存しない。マナティーは南米と西アフリカの江河に住む。2属ともあまり深い所には棲むことができない。夜間陸に這い上がり草を食い、一向武の備えのない柔弱なものなので、前述の通り人に犯されても、ハアハア喘ぐのみ、いいのか悪いのかさっぱりわからない。さて人間は凶悪な者で、続けざまに幾日も姦した上、これを殺して食う。それゆえ、この類の全滅は遠くない。

    すでに他の1属海牛(シーカウ)というのは、北氷洋の一島に住み、その島へ初めて上陸した難破船の水夫どもを見て珍しげに集まって近づいてきたのを、得たり賢し天の与えと片端から食い尽くされ、その遺骨のみが僅少の博物館に保存され、観る人の涙の種となった。また好婬家はジュゴンの例から推察し、この方が大きいから抱き応えがあるなどと言い、眼からも下の方からも涙が潤い下るじゃ。この属は3属とも、肉味ははなはだ旨く柔らかいとのこと。ただし、食うときのことで、するときの味は別に書いてない。

    ジュゴンの頭はほぼ人に似て、かつその牝がひとつの鰭で児を胸に抱きつけ、他の鰭で泳ぎ、母子ともに頭を水上に出す。さて、驚くときは、たちまち水に躍り込んで魚状の尾を顕わす。また子をはなはだしく愛する。これらのことから、古ギリシア人、またアラビア人などがジュゴンを見て、人魚の話を生じただろうという。

     1560年(永禄3年)、インドで男女の人魚7匹を捕え、ゴアに送り、医士ボスチがこれを解剖したが、内部機関はまったく人と異ならない、と記している。また1714年ブロ島で捕えた女人魚は、長さ5尺、4日7時間活きたが、食事をせずに死んだ、と。また1404年(足利義満のとき)、オランダの海から湖に追い込んで捕えた人魚は、紡績を習い行い、キリスト教に帰依して死んだ、と。18世紀の初めにオランダ人ヴァレンチンが一書を著わし、世にすでに海馬、海牛、海狗があり、また海樹、海花がある。また、どうして海女があり、海男があるのを疑うのか、論じた。

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    「人魚の話」は『南方熊楠コレクション〈第3巻〉浄のセクソロジー (河出文庫)に所収。

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