鶏に関する伝説(その25)

鶏に関する伝説インデックス

  • 概説

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     熊野地方の伝説に、那智の妖怪一ツタタラいつも寺僧を取り食う。刑部左衛門これを討つ時、この怪鐘を頭に冒り戦う故矢あたらず、わずかに一筋を余す。刑部左衛門最早矢尽きたりというて弓を抛り出すと、鐘を脱ぎ捨て飛び懸るを残る一筋で射殪いたおした。この妖怪いつ山茶つばきの木製の槌と、三足の鶏を使うたと。

    槌と鶏と怪をす事、上述デンデンコロリの話にもあり、山茶の木の槌は化ける、また家に置けば病人絶えずとて熊野に今も忌む所あり、拙妻麁族そぞく請川の須川甚助てふ豪家、昔八棟造りを建つるに、 烟出けむりだしの広さ八畳敷、これに和布わかめ、ヒジキ、乾魚ひうおなどを貯え、凶歳に村民を救うた。その大厦たいかの天井裏で毎夜踊り廻る者あり。大工が天井張った時山茶の木の槌を忘れのこせしが化けたという。

     北欧の古雷神トールが巨鬼を平らぐるに用いた槌すなわち電はなげうつごとに持ち主の手に還った由で、人その形を模して守りとし、また石斧をトールの槌として辟邪へきじゃの功ありとした(マレの『北方考古篇』五章。一九一一年板ブリンケンベルヒの『宗教民俗上の雷器』八六頁已下)。アフリカのヨルバ人は雷神サンゴは堅いアヤン木で棍棒を作り用ゆという(レオナードの『下ナイジャーおよびその民族』三〇三頁)。仏教の諸神大黒天、満善車王など槌を持ったが少なからず(『仏教図彙』)。

    定家卿の『建仁元年後鳥羽院熊野御幸記』に鹿瀬山を過ぎて暫く山中に休息小食す、この所にて上下木枝を伐り、分に随って槌を作り、さかきの枝に結い付け、内ノハタノ王子に持参(ツチ分罰童子云々)し各これを結い付く。これは罪人を槌で打ち罰した神らしい。『梅津長者物語』にも大黒天が打出うちでの小槌で賊を打ち懲らす話がある。

    古エトルリアの地獄神チャルンは巨槌で亡魂どもを打ち苦しむ(デンニス著『エトルリアの都市および墓場』二巻二〇六頁)、『※[#「こざとへん+亥」、208-2]余叢考』三五に鍾馗しょうき終葵しゅうきなまりで、斉人つちを終葵と呼ぶ。古人椎を以て鬼をうといえば、辟邪の力ある槌を鍾馗と崇めたのだ。その事毬杖とて正月に槌でまりを打てば年中凶事なしというに類す(『骨董集』上編下前)。『政事要略』七〇に、裸鬼が槌を以て病人に向うを氏神が追いしりぞけた事あり。『今昔物語』二十の七に、染殿そめどの后を犯した婬鬼赤褌を著けて腰に槌を差したと記す。予が大英博物館に寄付してその宗教部に常展し居る飛天夜叉の古画にも槌を持った鬼がある。つまり昔は槌を神も鬼もしばしば使う霊異な道具としたのだ。

    劉宋の張稗の孫女、特色あるを富人求めたが、自分の旧い家柄に恥じて与えず。富人怒ってその家に火を付け焼き殺した。稗の子、邦、旅より還って富人の所為と知れどその財を貪って咎めざるのみか、女を嫁しやった。一年後、邦、夢に稗あらわれ、汝不孝極まると言いて桃の枝で刺し殺す。邦、因って血をいて死に、同日富人も稗を夢み病死した(『還冤記』)。桃はもと鬼がいたおそるるところだが、この張稗の鬼は桃を怖れず、桃枝もて人を殺す。ちょうど悪徒は入れ墨さるるをおそるれど、追々は入墨を看板に使うて更に人を脅迫するようだ。そのごとく槌は初め鬼の怖るるところだったが、後には鬼かえって槌を以て人を打ち困らせたと見ゆ。

    『抱朴子』の至理の巻に、呉の賀将軍、山賊を討つ、賊中、禁術きんじゅつの名人あって、官軍の刀剣抜けず、弓弩きゅうど皆還って自ら射る。賀将軍考えたは、金に刃あり、更に毒あるは禁ずべきも、刃も毒もなき物は禁術が利かぬと聞く。彼能くわが兵刃を禁ずれど必ず刃なき物を禁じ能わぬべしと、すなわち多くつよい木の白棒を作り、精卒五千を選んで先発せしめ、万を以て計る多勢の賊を打ち殺したが、禁術は一向利かなんだとある。

    『書紀』七や『豊後国風土記』には景行帝熊襲くまそ親征の時、五人の土蜘蛛つちぐも拒み参らせた。すなわち群臣に海石榴(ツバキ)のつちを作らせ、石窟を襲うてその党を誅し尽くした。爾後その椎を作った処を海石榴市つばいちというと記す。山茶つばきの木は粘き故当り烈しく、油を搾る長杵ながきねにするに折れず。犬殺しの棒は先を少し太くし、必ずこの木を用ゆ。雕工ちょうこうに聞くに山茶と枇杷びわの木の槌で身を打てば、内腫を起し一生煩う誠に毒木だと。

    こんな訳で山茶の槌を使うを忌み、また刀剣同様危ぶみ怕れて、神や鬼の持ち物とし、さては山茶作りの槌や、床柱は化けると言い出したのだ。山茶の朽木夜光る故山茶を化物という(『嬉遊笑覧』十下)のも、またこの木を怪しとする一理由だ。予幼時和歌山に山茶屋敷てふ士族邸あり、大きな山茶多く茂れるが夜分門を閉づれど戸を締めず開け放しだった。しかせぬと天狗の高笑いなど怪事多いと言った。

    那智の観音本像は山茶の木で作るという。伊勢の一の宮都波木大明神は猿田彦をまつる(『三国地誌』二三)、村田春海はるみの『椿詣での記』に、その地山茶多しとあれば山茶を神としたものか。今井幸則氏説に、常陸ひたち筑波郡今鹿島は、昔領主戦場に向うに先だちこの所に山茶一枝をし、鹿島神宮と見立て祈願すると勝利を得たからその地を明神として祀り今鹿島と号すと(『郷土研究』四巻一号五五頁)。鹿島には山茶を神木とするにや。『和泉いずみ国神明帳』には従五位下伯太椿社を出す。山茶の木を神として祀ったらしい。

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    「鶏に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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