虎に関する史話と伝説民俗(その7)

虎に関する史話と伝説民俗インデックス

  • (一)名義の事
  • (二)虎の記載概略
  • (三)虎と人や他の獣との関係
  • (四)史話
  • (五)仏教譚
  • (六)虎に関する信念
  • (七)虎に関する民俗
  • (付)狼が人の子を育つること
  • (付)虎が人に方術を教えた事

  • (虎と人や他の獣との関係4)

     『戦国策』に人あり係蹄わなを置きて虎を得たるに、虎怒りて※(「足へん+番」、第4水準2-89-49)あしのうらって去る、虎の情その※(「足へん+番」、第4水準2-89-49)を愛せざるにあらざれど、環寸わずか※(「足へん+番」、第4水準2-89-49)を以て七尺の躯を害せざる者は権なりとあって虎の決断をめ居る。ロメーンスの説に狐が足を係蹄に捉われて危殆と見ると即刻自ら咬み切って逃ぐるは事実だとある。

    大英類典エンサイクロペジア・ブリタニカ』第十一版獅の条を見ると近来獅の性実は卑怯なる由言う人多しとあって、要は人と同じく獅もことごとく勇猛ならず、中には至って臆病な奴もありなんと結論し居る。かかる噂は今に始まったのでなくレオ・アフリカヌスが十六世紀に既に言って居る。モロッコのマグラ市近き野に獅が多いが極めて怯懦きょうだで、小児が叱ると狼狽る、その辺の大都フェスの諺に口ばかり剛情な怯者をののしって汝はアグラの獅ほど勇なりこうしにさえ尾をわるべしというとある。

    虎もこの例で至って臆病なのもあるらしく、前年スヴェン・ヘジン、チベット辺で水を渡る虎の尾を小児に曳かれて何事もなからざりしを見たと何かで読んだ。さらば虎に勝った勇士の内には真の勇士でなくて機会く怯弱な虎に出逢って迎えざるの誉れを得たのもあるだろう。

    『瑣語』に周王太子宜臼を虎にくらわさんとした時太子虎を叱ると耳をれて服したといい、『衝波伝』に孔子山に遊び子路をして水を取らしむ水所にて虎に逢い戦うてその尾をりこれを得懐にれ水を取ってかえる、さて孔子に問いけるは上士虎を殺す如何いかん、子いわく虎頭を持つ、また中士の作法を問うと耳を捉えると答えた、下士虎を殺さば如何どうすると問うと、虎の尾を捉えると答えたので子路自分の下士たるをじ尾を出して棄てたとある。

    子路は至って勇ありしと聞くが周王太子などいずれ柔弱な人なるべきに叱られて服した虎はよほど弱腰の生れだったと見える。『朝野僉載ちょうやせんさい』には大酔して崖辺でねむった人の上へ虎が来て嗅ぐと虎鬚がその人の鼻孔に入りハックションとった声に驚きその虎が崖から落ちて人に得られたとある。

     ローマ帝国の盛時虎を多くって闘わしめまた車をかせた例もある。今もジャワで虎や犀を闘わす由(ラッツェル『人類史』二)、『管子』に桀王の時女楽三万人虎を市に放ってその驚駭を見てたのしんだとあるから、支那にも古くから帝王が畜ったのだろう。

     虎が仙人や僧に仕えた話は支那にすこぶる多い。例せば西晋の末天竺てんじくより支那に来た博識耆域きいきは渉船を断られて虎にって川を渡り、北斉の僧稠は錫杖を以て両虎の交闘を解く、後梁の法聡は坐するところの縄牀じょうしょうの両各々一虎あり、晋安王来りしも進む能わず、聡手を以て頭をおさえ地にけその両目を閉ざしめ、王を召し展礼せしむとはなかなかえらい坊主だ。王境内虎災大きを救えと乞うと入定する事須臾しゅゆにして十七大虎来る、すなわち戒を授け百姓を犯すなからしめた、また弟子に命じ布の故衣ふるぎで諸虎の頸を繋ぐ、七日経て王また来りときを設くると諸虎も僧徒と共に至る、食を与え布を解きやるとその後害を成さず、唐の豊干禅師が虎に騎って松門に入ったは名高いはなしで後趙の竺仏調は山で大雪に会うと虎が窟を譲ってその内に臥さしめ自分は下山した、唐の僖宗の子普聞禅師は山に入って菜なきを憂うると虎が行者に化けてその種子をくれて耕植し得た、南嶽の慧思は山に水なきをうれうると二虎あり師を引きて嶺に登り地を※(「足へん+鉋のつくり」、第3水準1-92-34)いてほえると虎※(「足へん+鉋のつくり」、第3水準1-92-34)泉とて素敵な浄水が湧出した、また朝廷から詰問使が来た時二虎石橋を守り吼えてこれをしりぞけた、『独異志』に劉牧南山野中に果蔬かそを植えると人多く樹をそのむ、にわかに二虎来り近づき居り牧を見て尾をゆるがす、我を護るつもりかと問うと首をせてさようと言うていだった、牧死んで後虎が去ったと『類函』に引いて居る。

    虎が孝子を恵んだ話は『二十四孝』の内にもあるが、ほかにも宋の朱泰貧乏で百里たきぎひさぎ母を養う、ある時虎来り泰を負うて去らんとす、泰声を※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)はげまして我は惜しむに足らず母を託する方なしと歎くと虎が放ち去った、里人輩感心して醵金を遣り虎残と名づけた。また楊豊虎に噛まる、十四になる娘が手に刀刃なきに直ちに虎頭を捉えて父の難を救うたとある。予もそんな孝行をして見たいが子孝ならんと欲すれども父母たずで、海外留学中に双親ふたおやとも冥途に往かれたから今さら何ともならぬ。

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    「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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