田原藤太竜宮入りの話(その28)

田原藤太竜宮入りの話インデックス

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     濠州のジェイエリエ人伝うらく、大神ムーラムーラ創世に多く小さき黒蜥蜴を作り、もろもろ※(「虫+支」、第4水準2-87-33)はう動物の長とす。次にその足を分ちて指を作り、次に鼻それより眼口耳を作り、さて立たしむるに尾が妨げとなるから切り去ると蜥蜴立ちて行き得、かくて人類が出来たと(スミス『維克多利生蕃篇ゼ・アボリジンス・オヴ・ヴィクトリア』二、四二五頁)。

    古エジプト人は、蜥蜴を神物とし、その尸をマンミーにして保存奉祀した。西アフリカのウォロフ人は、蜥蜴を家神として日々牛乳を供え、マダガスカル人もこれを守護神とした(『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』巻二、九、二八)。近世ギリシアでは、ストイキア神夜家や野などに現ずる時、あるいは蛇あるいは蜥蜴あるいは小さき黒人たり(ライト『中世論集エッセイス・オン・ゼ・ミドル・エージス』一巻二八六頁)。

    蜥蜴の最も尊ばれたは太平洋諸島で、ポリネシア人これを神とし、人間の祖とし、斎忌の標識は専ら蜥蜴と鮫だ(ワイツおよびゲルランド『未開民史ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル』巻六)。フィジー島では、地震神の使物を大蜥蜴とし、マオリ人は蜥蜴神マコチチ、人を頭痛せしむと信ず。

    ニューヘブリデスの伝説に、造物主初め人を四脚で、豚を直立してあるかしめた。諸鳥と爬虫類これを不快で集会す。その時一番に蜥蜴、人と豚の行きぶりを変ずべしというと、鶺鴒せきれいは元のままで好いと主張した。蜥蜴直ちに群集を押しくぐり、椰樹やしのきに登って豚の背に躍び下りると、豚前脚を地にけた、それより豚が四脚、人は直立してあるく事になったという(ラツェル『人類史ゼ・ヒストリー・オヴ・マンカインド』英訳、一)。メラネシア人は、蜥蜴家に入れば死人の魂が帰ったという(一九一三年版フレザー『不死の信念ゼ・ビリーフ・イン・インモータリチー』一巻三八〇頁)。

    アフリカのズールー人言う、太初大老神ウンクルンクル※(「虫+堰のつくり」、第4水準2-87-63)カメレオンを人間に遣わし、人死せざれと告げしめしに、このもの怠慢なまけて途上の樹に昇り睡る。神また考え直して蜥蜴を人間にり人死すべしと告げしむると、直ぐ往ってそう言って去った跡へ※(「虫+堰のつくり」、第4水準2-87-63)蜒やっと来て人死せざれと言ったが間に合わず、先に蜥蜴から人死すべしと聞いたから、人間皆死ぬ事となった。それからズールー人が思い思いになって、あるいは蜥蜴が迅く走って、死ぬといって来たと恨んで見当り次第これを殺し、あるいは※(「虫+堰のつくり」、第4水準2-87-63)蜒が怠慢なまけて早く好報をもたらさざりしを憤って、烟草タバコを食わせ、身を諸色に変じ、悩死するを見て快と称う。

    南洋ヴァトム島人話すは、ト・コノコノミャンゲなる者、二少年に火を取り来らば死せじ、しからずば汝ら魂は死せず、身は死すべしと言いしに取り来らず。因って汝ら必ず死すべし。イグアナとヴァラヌス(いずれも蜥蜴の類)と蛇は時々皮ぎ、不死しせじと罵ったので、人間永く死を免れずと。

    フレザーかようの話を夥しく述べた後、諸方に蛇と蜥蜴が時々皮をぬぎかえるを以て毎度若返るとし、昔この二物と人と死なぬよう競争して人敗し、必ず死ぬに定まったと信ずるが普通なりと結論したが、これも蛇や蜥蜴それから竜が崇拝さるる一理由らしい。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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