田原藤太竜宮入りの話(その19)

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田原藤太竜宮入りの話インデックス

  • 話の本文
  • 竜とは何ぞ
  • 竜の起原と発達
  • 竜の起原と発達(続き)
  • 本話の出処系統

  • (竜とは何ぞ8)

    フ氏は、インドの竜について一言もしおらぬが、『大雲請雨経』に、大歩、金髪、馬形等の竜王を列し、『大孔雀呪王経』に、〈もろもろの竜王あり地上を行き、あるいは水中にあって依止をし、あるいはまた常に空裏を行き、あるいはつねに妙高に依って住むあり(妙高は須弥山しゅみせんの事)、一首竜王を我慈念す、および二頭を以てまたまた然り、かくのごとく乃至ないし多頭あり(『請雨経』には五頭七頭千頭の竜王あり)云々、あるいはまた諸竜足あるなし、二足四足の諸竜王、あるいは多足竜王身あり〉と見れば、梵土でも支那同様竜に髪あり、数頭多足あるもありとしたのだ。

    二足竜の事、この『呪王経』のほかにも、沈約の『宋書』曰く、〈徐羨之じょせんし云々かつて行きて山中を経るに、黒竜長さ丈余を見る、頭角あり、前両足皆具わり、後足なく尾をきてあるく、後に文帝立ち羨之ついに凶を以て終る〉などあれど、東洋の例至って少ない。

    しかるに西洋では、中古竜を記するに多くは二脚とした。第一図はラクロアの『中世の科学および文学サイエンス・エンド・リテラチュール・オヴ・ゼ・ミッドル・エージス』英訳本に、十四世紀の『世界奇観』てふ写本から転載した竜数種で、第二図は一六〇〇年パリ版、フランシスコ・コルムナのポリフィルスの題号画中の竜と蝮と相討ちの図だが、ことごとく竜を二脚として居る。この相討ちに似た事、一九〇八年版スプールスの『アマゾンおよびアンデス植物採集紀行』二巻一一八頁に、二尺たけ※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)が同長の蛇をんだところを、著者が殺し腹をくと、蛇なおきいたとあるし、十六世紀にベスベキウス、かつて蛇が蝦蟆がまを呑み掛けたところを二足ある奇蛇と誤認したと自筆した(『土耳其紀行トラヴェルス・インツー・ターキー』一七四四年版、一二〇頁)。

    マレー人は、※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)の雄は腹の外の皮がさわる故、陸に上れば後二脚のみで歩むと信ず(エップの説、『印度群島および東亜細亜雑誌ゼ・ジョーナル・オブ・ゼ・インジアン・アーキペラゴ・エンド・イースターン・アジア』五巻五号)、過去世のイグアノドン、予がハヴァナの郊外で多く見たロケーなど、蜥蜴類は長尾驢カンガルーのごとく、尾と後の二脚のみでね歩き、い行くもの少なからず、ってスプールスが南米で見た古土人の彫画ほりえに、四脚の蜥蜴イグアナを二脚にたもあった由。
    「第1図 14世紀写本の竜画」のキャプション付きの図
    「第2図 1600年版 竜と蝮の咬み合い」のキャプション付きの図

     また『蒹葭堂雑録』に、わが邦で獲た二足の蛇の図を出せるも、全くのうそじゃないらしい。ワラス等が言った通り、※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)や諸蜥蜴が事に臨んで、前二脚のみで走り、またいっそ四脚皆用いず、腹と尾に力を入れてまっしぐらに急進するが一番はやい故、専らその方を用いた結果、短い足が萎靡いびしてますます短くなる代りに、躯が蛇また蚯蚓みみずのごとく長くなり、カリフォルニアとメキシコの産キロテス属など、短き前脚のみ存し、支那、ビルマ、米国等の硝子蛇グラス・スネークや、濠州地方のピゴプス・リアリス等諸属は前脚なくて、後脚わずかにふたつ小刺こはり、またふたつ小鰭こひれとなって痕跡を止め、英仏等の盲虫ブラインド・オルム、アジアやアフリカの両頭蛇アムフィスパイナは、全く足なく眼もちょっと分らぬ。

    『類函』四四八に、〈黄州に小蛇あり、首尾あいたぐう、因って両頭蛇という、余これを視てその尾端けだし首に類して非なり、土人いわくこの蛇すなわち老蚯蚓の化けしところ、その大きさ大蚓を過ぎず、行は蛇に類せず、宛転えんてん甚だ鈍し、またこれを山蚓という〉。『燕石雑志』に、日向の大蚯蚓みみず空中を飛び行くとあるは、これを擬倣したのか。とにかく蜥蜴が地中に棲んで蚯蚓みみず様に堕落したのだが、諸色こもごも横条を成し、すこぶる奇麗なもある。

    『文字集略』に、※(「虫+璃のつくり」、第3水準1-91-62)は竜の角なく赤白蒼色なるなりと言った。※(「虫+璃のつくり」、第3水準1-91-62)わが邦でアマリョウと呼び、絞紋しぼりもんなどに多かる竜を骨抜きにしたように軟弱な怖ろしいところは微塵みじんもない物は、かかる身長く脚と眼衰え、退化した蜥蜴諸種から作り出されたものと惟う。したがって上述の諸例から推すと、西洋で専ら竜を二足としたのも、実拠なきにあらず、かつ竜既に翼ある上は鳥類と見立て、四足よりも二足を正当としたらしい。支那で応竜を四足に画いた例を多く見たが、邦俗これを画くに、燕を背から見た風にし、一足をも現わさぬは、燕同様短き二足のみありという意だろう。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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