岡本柳之助

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  • 岡本柳之助(おかもと りゅうのすけ)

    岡本柳之助(1852〜1912)。軍人・ナショナリスト。
    和歌山藩士出身。
    江戸赤坂の紀伊和歌山藩邸生まれ。旧姓は諏訪。岡本家に養子に。

    西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐に。
    しかし、1878年(明治11年)8月23日の竹橋事件(西南戦争の行賞について不平を懐いた近衛砲兵兵卒らによる陸軍最初の反乱)に連坐し、官職を剥奪され、無位無官の身となり大陸浪人に。
    1895年に駐韓公使三浦梧楼らと朝鮮王朝の皇后閔妃(ミンビ)殺害事件をおこし、投獄されました。



    岡本柳之助

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳6)
    むかし曾禰荒助氏などと同じくパリに官費留学して、帰朝の途中シンガポールで、もとパリで心安かったジャネという娼婦に巡り会い、共に帰朝してだらしなく身を持ち崩し、東京にいたたまれず、またパリに行き、貧乏生活のなかジャネは流行病で死に、それからいろいろ苦労してとうとうあるフラマン種の下宿屋老寡婦の夫となり、日本人相手に旅宿を営んでいる、諏訪秀三郎という人がいる。韓国王后の首を刎ねた岡本柳之助の実弟である。この秀三郎の仏語を話すのを障子1枚隔てて聞くと日本人とは聞こえず、まるで仏人である。

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳4)
    右のダグラス男爵の官房で初めて孫逸仙(※そんいつせん。孫文※)と知人となった。逸仙方に毎度遊びに行き、逸仙はまた小生の家に遊びにきた。逸仙がロンドンを去る前、鎌田栄吉氏を下宿へ連れて行き、岡本柳之助氏へ添え書きを書いてもらった。これが逸仙が日本に来た端緒である(その前にも一度来たが、横浜ぐらいに数日留まっただけである)。


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