川島友吉(川島草堂)

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  • 川島友吉(かわしま ともきち)

    川島友吉(1880年〜1940年)。日本画家。画号は草堂。
    田辺町(現在の和歌山県田辺市)生まれ。画号は白浜町富田の草堂寺から。
    酒豪で奇行が多く短気。
    南方熊楠(1867年~1941年)とは1902年(明治35年)に出会い、以後、しばしば行動をともにしています。



    川島草堂

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳4)
    さる大正9年、むかし小生がロンドンにあった日の旧知、土宜法竜師は高野山の座主であり、しばしば招かれたため、今年の勧業博覧会で一等賞金印を得た当地の画家、川島草堂(この人は橋の上で炭の屑を使って画を独習して育った人である。久○大宮も7年ほど前に和歌山望海楼に召して席上で画を描かせご覧になった。小生むかし南ケンシントン美術館に雇われ、河鍋暁斎の画稿を多く調べたことがある。他の画のことは知らないが、狂画の腕はこの人のが暁斎の次と存じます)と同伴して金剛峰寺へ30余年ぶりに尋ねました。

    そのとき、座主はとくに小生のために金堂に弘法大師将来の古軸若干をつり下げ示された。そのなかに大日如来の大幅がひとつあった。何とも言われぬ荘厳で美麗なものであった。その大日如来はまず24,5歳までの青年の相で、顔色桃紅、これは草堂の話によると珊瑚末を用い彩色したものとのこと、1000年以上のものながら大日如来が生きているかと思うほどの艶やかさがある。例のくちひげ、あごひげなどは少しもなく、手足はことのほか長かった。これは本邦の人が気がつかないが、宦者の人相を写生したものです。日本には宦者がないため、日本人にはわからないのです。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳16)
    27年前前に見つけておいた海に棲む蜘蛛(ギゲスと申す)をとりに行ったが、当日大風波で船人らが船を出さない。ところが上の述べた川島草堂が知るところの漁夫がどこかの下女に子を生ませ始末に困ったのを見かねて自分方へ引き取って小学へ通わしてやった。

    その漁夫はこれが恩に報いる日であるといって、棒組に向こう見ずの伊三太的な大力の力士兼船頭をひとりを説得し、小生と川島と4人で船を出す。海上はひどく荒れて鬢などが転がりまわり、小生の衣服はラムネと海水でびしょぬれになってしまった。また鼻の穴と耳に海水が浸入して頭が鳴り出す。

    しかし、必死に漕がせてその蜘蛛のいる海洞に近づいたが、波が荒くて入ることができない。よって小生は上陸し、一人は船に留まり、他の2人は岩壁を九死を侵してよじ下り、わずかながら8匹まで生け捕り、巣もひとつとり収める。帰りは夜になり、いっそう危険だから、小生と草堂は徒歩で帰り、船人2人は船を操縦して夜分に帰ることができた。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳20)
    拙筆ゆえ右に申す川島草堂に字割を6時間もかかって施してもらい、それから一筆に書き成しました。いつもと違って天皇のご威光によってまずは無難に出来上がり申した。


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