1908年11月14日:南方熊楠日記(現代語訳)

1908年11月14日

◇11月14日[土] 晴

朝8時頃、田辺屋主人富蔵が案内し、馬吉が荷物を負い、川を渡り、田代の山を越え蓑尾谷に出て、「巻(マキ)ザコ」という山に上り、道路がすこぶる悪いのを伝い、小口村の鳴谷に至る。鳴谷は沙谷で歩きやすい。

その末に鳴谷の滝がある。那智一ノ滝より米粒3つだけ短いという長い一条の滝である。真っ直ぐに落ちて深い淵に入る。崖の上にヒノキの木が1本あるのに寄りかかって下を望むと、滝が初めて見えるのだ。非常に危険だ。予は右足が悪くてはなはだ困る。

この辺はシャクナゲが多い。またアブラキという、赤い実のなる、ソヨゴのような木がある。その皮を焼くとはなはだよく燃える。コンドリヲダーマの予がまだ見ていなかったものを1つ取る。

この鳴谷は48の谷を持つ。高野をこの地へ移そうとしたことがあったが、1つ隠して47谷と言ったので移らずとどまったという。

もと来た道から蓑尾谷に到る。それより坂を越えて静川村の瀬井という所より白子(※白河か)という地に至る。この村の人がカノヘゴを持っていると聞き、馬吉に先に行って道上で待たせ、予と富蔵と右の家を訪ねると、カノヘゴは酒によいと聞き、人々が来て請われるままに分け与えたとのことである。村の宮の辺のカシの木に生ずるとのこと。

静川に出ると暗い。寺と小学校がある。寺の境内に落葉松がある。唐松(カラマツ)と呼ぶ。幹が屈曲し大枝が多い老樹である。枝を少々取る。和田清一という店に寄り、田辺屋と馬吉が酒を飲む。主人は不在、その妻重女は栗山弾次郎氏の妹である。この辺での大雑貨店である。故栗山喜一郎氏のことなどを話し、提灯を借りて帰る。

影山という地は林で、クスノキの大樹がある。ここで栗山の祖先が天狗を斬る。その血刀を洗ったという水が滴る所がある。予らが通る道端である。栗山の一族は今も夏のこの水を飲まないという。

予が提灯を持ち、2人が従って歩く。45間のハリガネ橋があり、はなはだ歩きにくい。予は田辺屋の後について手を引かれて静かに歩き終わる。和田大野、田代を経て8時過ぎに宿に帰る。入湯後ただちに臥す。


メモ

鳴谷の大滝は落差80mの直瀑。鳴谷は和田川の支谷。「那智の48滝、鳴谷の46滝」といわれるほどに滝が多い。

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1908年の日記は『南方熊楠日記 (3)』八坂書房 に所収

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