本草綱目啓蒙

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  • 本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)

    『本草綱目啓蒙』は、明の李時珍の撰による薬物書『本草綱目』に小野蘭山が和名や用法を付記したもの。1882種、全48巻で、日本最大の本草学書。
    『本草綱目啓蒙』をのちに手に入れたシーボルトは、小野蘭山を東洋のリンネと賞賛した。

    平凡社、東洋文庫の『本草綱目啓蒙』全4巻が現在もっとも入手しやすい。

    「本草」とは、中国および日本の伝統的な薬物学、あるいは和漢薬やそれを記した書物のこと。



    本草啓蒙

    南方熊楠の手紙:山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(現代語訳3)
    小野蘭山の『本草啓蒙』に、これは羆〔ひぐま〕である、とある。熊の大きなものと見えます。羆は日本にいないもので、小生はかつて大英博物館で中アジア産の熊類標本を調べ、これが古支那書の非熊非熊の羆であろうと思われる種をひかえて書き記しておいたものがある。これまた和歌山の庫中にあり、今ちょっとわかりません。麻緒のような色の熊です。

    南方熊楠の随筆:十二支考 兎に関する民俗と伝説(その1)
    日本では専ら「うさぎ」また「のうさぎ」で通るが、古歌には露窃つゆぬすみてふ名でんだのもある由(『本草啓蒙』四七)。

    南方熊楠の随筆:十二支考 兎に関する民俗と伝説(その3)
    熟兎に白子多きは誰も知る通りだが明の崇禎の初め始めて支那へ舶来、その後日本へも渡ったらしい(『本草啓蒙』四七)。


    南方熊楠の随筆:十二支考 兎に関する民俗と伝説(その3)
    本草啓蒙』に「兎の性こうにして棲所の穴その道一ならず、猟人一道をふすぶれば他道にのがれ去る、故に『戦国策』に〈狡兎三窟ありわずかにその死を免れ得るのみ〉という」。兎は後脚が長くてすこぶるはやく走りその毛色が住所の土や草の色と至って紛らわしき上に至ってずるく、細心して観察した人の説にその狡智狐にすという。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その27)
    もっともその鱗や眼や鼻孔等が、陸生の蛇と異なれど、殺した上でなければしかと判らず、したがって『本草啓蒙』『和漢三才図会』など、本邦にも水蛇ありと記せど、尋常陸生の蛇がたまたま水に入ったのか、水面を游ぐ蛇状の魚を見誤ったのか知りがたかったところ、黒井中将に教えられて、浅瀬を渡る水蛇が少なくとも本邦の北部に産すと知り得たるは、厚く御礼を申し上ぐるところである。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その32)
    本草啓蒙』に、一種足長蛸形章魚たこに同じくして足いと長し、食えば必ず酔いまたはんを発す。雲州でクチナワダコといい、雲州と讃州でこれは蛇の化けるところという。蛇化の事若州に多し。筑前では飯蛸いいだこの九足あるは蛇化という。八足の正中に一足あるをいうと記せるごとき、どうもわが邦にも交合に先だって一足が特に長くなり体を離れてなお蠕動ぜんどうする、いわゆる交接用の足(トクユチルス(第五図[#図省略]))が大いに発達活動して蛇にた蛸あり。それを見謬って蛇が蛸にるといったらしい。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その18)
    この文を従前難解としたが、谷川士清たにかわことすがの『鋸屑譚おがくずばなし』に始めてこれをいた。ホヤは仙台等の海に多く、科学上魚類に近い物ながら、外見海参なまこに酷似す。イズシは貽貝いがいすしで、南部の方言ヒメガイ(『松屋筆記』百五巻)、またニタガイ(『本草啓蒙』四二)、漢名東海夫人、皆その形に因った名で、あわびを同様に見立つる事、喜多村信節きたむらのぶよの『※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)いんてい雑録』にも見える。


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