山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(現代語訳4)

南方熊楠の手紙(現代語訳)

  • 1 山男について
  • 2 山男の冬期の食べ物、燕は日本を去って
  • 2 狒々について
  • 4 唇熊について
  • 5 狒々は熊か
  • 6 広畠氏から聞いた俗譚
  • 7 駝鳥、唇熊
  • 8 ハリセンボン
  • 9 幼少時代、海外遊学時代
  • 10 熊野で
  • 11 神社合祀の弊害
  • 12 大山神社
  • 13 最初に意見書を大臣へ

  • 唇熊について

    ナマケグマ
    Sloth Bear / the_great_nanners

     J. G. Wood, 'The New Illustrated Natural History' 刊行日付なし。小生は明治20年にサンフランシスコで購入した。その頃はなはだ欧米で流行った本である。著者は英国リンネウス学院員。ほぼ翻訳申し上げます。

     アスウェール(インド土名)すなわち樹□熊は、行動異様、形状奇怪で、熊群中の珍品である。インド(熊楠いう、セイロンにもいる)の山地に生息し、土着民はこれを恐れまた賞賛する。山谷をその徉遊に任せて、苦しめなければはなはだ無害であるが、これを傷つけ、また苦しめるときは、はなはだ恐るべき敵となる。

    ただし、傷が重くなければひとえに逃げ去ることのみにつとめ、一直線に去る。ゆえに捕らえがたい。しかしながら、傷が重いときは傷つけた人にかかって来る。はなはだしく飢えたときだけ他の有脊動物を食う。普通には諸々の根、蜜および蜜巣と蜂の子、地中にすむ虫、蝸牛、ナメクジ、蟻を食い、ことに好んで蟻を多く食う。

    その肉はどちらかといえば堅い方だが、実際に食った人はきわめてよい味だと言う。その毛は奇態に長く、ことに頭と頸上の毛が長く、この獣はそのために異態の観がある。毛の色は真っ黒で、諸処に褐色の毛が混じる。胸に叉分した白毛帯がある。歩くときは前脚を、上手な氷履乗(スケイター)が cross-roll を演ずるように、互いに交差させるが、止まって立つときは多少両脚が離れて立つのだ。

    この熊は、牙(インシソールス)を失いやすく、いたって若いものの髑髏を見ると、やはりしばしば牙がまったく早くに失われて、その跡が埋没し、かつて牙がなかったように見えるものもある。ゆえに、英国へ最初に持ち来られたものを南米の樹□の類と心得、樹□熊と名づけた。また無名獣と名づけた書もある。一名薮熊、一名唇熊。

     このウッド氏の書はなかなか流行ったもので、普通に行われるのは3冊である。 小生はかつて購入し、故津田三郎氏に贈ったことがある(海軍大佐。紀州人のことなので、遺族の家、木下友三郎君が存知であろう。尋ねたら、その書があるであろう。また東京図書館などにもこの書はあるであろう。ドイツで明治34年ごろ物故。この人の兄真一郎氏は、竹橋一件のとき王子の火薬庫を奪いに行った咎で免職、いま北海道にいる。その真一郎氏の子は、故佐伯誾氏〔海軍大佐、日露戦争で戦死〕の嗣子である)。

    現に小生の手許にあるのは、その3冊のうち、著しき図を抜き集め解説を短く付したものです。右の文はそれから引く。また別に3冊本があり、右と同名ながら New の字がない。すなわち題して 'The Illustrated Natural History' と申す。その1865年版(ロンドン版)1巻409頁よりの書抜きを左に写し申し上げます。

    この熊を唇熊と名づけたのは、その両唇長く、捲き曲がらすことができ、きわめて奇怪に種々奇天烈極まる面相に変成することができる。餅片、林檎などの好物を見せるとき、このような百面をなすのだ。好んで半起立のの位置で坐り、観客の目を惹くために、その鼻と唇を速やかに捻まわす。こうしてそれでも人がこれに注意しないときは、急にその両唇を打ち鳴らして人の注意を引こうとつとめる。

     Tennent の『セイロン博物史』にこの獣のことが出ていて、怒ったときははなはだ危険であると言っている。今夜身傍に出てないので、少し暇があったら一覧の上、変わったことがあったら申し上げましょう。

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    「山男について、神社合祀反対運動の開始」『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫)所収。

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