シスルトン・ダイヤー

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  • シスルトン・ダイヤー(William thiselton-dyer)

    ウィリアム・シスルトン・ダイヤーは、南方熊楠(1867年~1941年)がロンドンに滞在していた当時のキュー王立植物園の園長。

    キュー王立植物園は、ロンドン南西部のキューにある王立植物園。1759年に宮殿併設の庭園として始まり、今では世界で最も有名な植物園である。2003年に世界遺産に登録された。



    ダイヤー

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳12)
    ロンドンで久しくいた下宿は、じつは馬部屋の2階のようなものであった。かつて前田正名氏に頼まれ、キュー皇立植物園長シスルトン・ダイヤー男爵を訪れた翌日、男爵より小生へ電信を発せられたが、町がわからずに(あまりに狭苦しい町なため)電信が届かなかったことがある。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳19)
    ご承知のように西洋に複姓が多い。小生の知人にサー・シスルトン・ダイヤーという人がいた。昨年84,5で死んだ王立植物園の園長で、小生がもと農商務次官であった前田正名氏を連れていき饗応されたことがある。Thistleton-Dyerという苗字である。ThistletonもDyerも別々の苗字である。松井南方のようである。

    いま松井家の末主不幸にして子女なく、財産をそのまま置いて頓死でもすれば、どこかの消防人足とか、どこかの軽業小屋の下足番とか、ひどい場合は下等な売春の世話人(若い衆)とかが、わが5代前の先祖はかの富人の6代前の祖先の甥であったなどと訴え出る。寺の記録を見てそれに相違ないとわかると、政府は死人の遺産を幾分割り引きして、残りを死人が生前何の面識もなかった赤の他人以上である下足番などにやるのだ。

    まことに不人情なことで(この点日本人よりは祖先を崇拝し、家系を尊び重んずるかもしれないが)、それを嫌う人々は生存中、他人ながらまことに自分に尽くしてくれた者を見立て、『日本紀』などに見える名代部(なしろべ)のように、自分の苗字をその者の苗字に加え、自分で実の系統は絶えてもせめて苗字だけは、後世へ残れとの執心より(日本ならば松井に南方を加え、中に挟まった2字を省略して、松方とでもすべきところだが、そんな気も付かないのか、旧風を守る一念からか)、シスルトン(金を譲る人の苗字)を譲られる者の苗字の前に置き、今までダイヤー氏であった者が、シスルトン・ダイヤー氏を唱え、子孫代々その複苗字で押し通し、それでこの家は亡シスルトン氏の後を継いだ者、ただし家の出所はダイヤー氏ということを明らかにするのだ。

    シスルトン・ダイヤー氏の始祖は、何が気に入られてシスルトン氏から財産を受けたか知らないが、このような複姓で通る家のうちには、少年が老翁の介抱などして気に入られたことから身を起した者も多くあることと考えることができるのだ。


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