プリニウス

注目すべき人物

  • 菊池大麓
  • 木村駿吉
  • 田中長三郎
  • 徳川頼倫
  • 孫文
  • オステン=サッケン
  • カルキンス
  • スウィングル
  • ディキンズ
  • フランクス
  • モリスン
  • リード
  • プリニウス(Gaius Plinius Secundus)

    ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(22/23年〜79年)は、古代ローマの博物学者、政治家、軍人。
    ローマ帝国の海外領土総督を歴任する傍ら、『博物誌』などを著した。
    甥に文人で政治家のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス、62?〜114?)がおり、養子としている。小プリニウスと区別するため大プリニウスと呼ばれる



    プリニウス

    南方熊楠の随筆:兎に関する民俗と伝説(その2)
    ストラボンの説に昔マヨルカとミノルカ諸島の民熟兎過殖ふえすぎて食物をい尽くされローマに使をつかわし新地を給い移住せんと請うた事あり、その後熟兎を猟殲かりつくさんとてアフリカよりフェレット(いたちの一種)を輸入すと、プリニウスはいわくバレアリク諸島に熟兎おおくなって農穫全滅に瀕しその住民アウグスッス帝に兵隊を派してこれをふせがんと乞えりと、

    南方熊楠の随筆:兎に関する民俗と伝説(その5)
    プリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』八巻八一章に兎の毛で布を織り成さんと試みる者あったが皮に生えた時ほど柔らかならずかつ毛が短いので織ると直ぐ切れてしもうたと見ゆ、むやみに国産奨励など唱うる御役人は心得て置きなはれ。

    南方熊楠の随筆:兎に関する民俗と伝説(その6)
    プリニウスいわく越後兎冬白くなるは雪を食うからと信ぜらると。何ぼ何でも雪ばかりじゃあ命が続かぬが、劉向の『説苑』一に弦章斎景公に答えた辞中、尺蠖しゃくとりむし黄を食えばその身黄にあおきを食えばその身蒼しとあれば、動物の色の因をその食物に帰したのは東西一轍と見える。

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その18)
    さてローマ帝国のプリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』に、竜の事を数章書きあるが、翼ある由を少しも述べず、故にフ氏が思うたほど、東西の竜が無翼有翼を特徴として区別判然たるものでない。

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その40)
    ローマのプリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』八巻十一章にも、インドの大竜大象と闘うてこれを捲き殺し地にたおるる重量で竜もつぶれ死すと見ゆ

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その44)
    ローマのプリニウス等かかるゴカイを海蜈蚣スコロベントラ・マリナづけ、はりを呑めばその腸をまるで吐き出し鈎を去って腸を復呑のみもどすと書きいるとあって、この鈎一件についても説を述べられ予と論戦に及んだがここに要なければ略す、

    南方熊楠の随筆:蛇に関する民俗と伝説(その9)
    プリニウス言う、ハジ(アフリカの帽蛇)の眼は頭の前になくて※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみにあれば前を見る事ならず、視覚より足音を聴いて動作する事多しと。

    南方熊楠の随筆:蛇に関する民俗と伝説(その17)
    プリニウスいわく、ポンツスのリンダクス河辺にある蛇は、その上を飛ぶ鳥を取り呑む、鳥がどれほど高く速く飛んでも必ず捉わると。『サミュール・ペピス日記』一六六一年二月四日の条に、記者ある人より聞いたは、英国ランカシャーの荒野に大蛇あり、雲雀ひばりが高く舞い上がるを見て、その真下まで這い行き口を擡もたげて毒を吐かば、雲雀たちまち旋かえり堕ちて蛇口に入り、餌食となると書いた。

    南方熊楠の随筆:蛇に関する民俗と伝説(その19)
    北欧セービュルクの物語に、一僕銀白蛇の肉一片を味わうや否や、よく庭上の鶏やあひる鴿はとや雀が、その城間もなく落つべき由話すを聴き取ったとあり。プリニウス十巻七十章には、ある鳥どもの血を混ぜて生きた蛇を食べた人能く鳥語をさとると載す。

    南方熊楠の随筆:馬に関する民俗と伝説(その24)
    プリニウスの説に、驢は寒を恐る、故にポンツスに産せず、また他のけだもの通り、春分を以て交わらしめず、夏至において交わらしむと。バートン言う、この説ことわりあり、驢は寒地で衰う、ただしアフガニスタンやバーバリーのごとく、夏長く乾き暑くさえあれば、冬いかに寒い地でも衰えずと。


    Copyright © Mikumano Net. All Rights Reserved.