加藤寛治

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  • 加藤寛治(かとう ひろはる〔かんじ〕)

    加藤寛治(1870〜1939)。明治、大正、昭和期の海軍軍人。
    連合艦隊司令長官、海軍大将。
    和歌山県生まれ。

    南方熊楠(1867〜1941)とはロンドンで親しくしています。



    加藤寛治

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳12)
    そして、この2階に来て泊まり、昼夜快談した人に木村駿吉博士などの名士が多く、斎藤七五郎中将(旅順開戦の状を明治天皇御前に注進申した人。この人は醤油を造るために豆を踏んで生活した貧婦の子である。小生と同じく私塾に行って他人が学ぶのを見て覚え、帰って記憶のまま写し出して勉学したという)、吉岡範策(故佐々友房の甥、柔道の達人、ただ今海軍中将である)、加藤寛治鎌田栄吉孫逸仙(※孫文※)オステン・サッケン男爵などその他多い。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳20)
    進講が済んで後、旧知の加藤寛治大将(当時の海軍軍令部長)が控え室に来て祝福され、いろいろと在英のときのことなどを談じた。その後、東京から送り越された書面に、

      過日は久方振りに拝姿、相変わらず神気満身の御風格で御研究に超越あそばされ感動いたしました。その後もたびたび貴下の御噂が宮中で出て、皆々が敬慕いたしておられます。小生もいま一度貴地に遊び、大自然の美と幽とを味わい、かつ奔放不覊な大人と快談の幸を得たく切望しております、(下略)。


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